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平成芸能史に残る大ゲンカ! 有名作家が有名監督に右ストレートの大乱闘<共演NG?【犬猿の仲】の有名人>

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 年号が「令和」に移り変わり、30年の歴史に幕を閉じる「平成」。東日本大震災をはじめ、歴史的な出来事や事件が次の時代へと語り継がれていく中で、芸能界でも数々の珍事件が蘇ってくる。そこで今回は、“平成史上の大ゲンカ”を厳選してみたい。

 平成生まれの若者は、日本映画界を代表する名監督の故・大島渚さんと、作家の故・野坂昭如さんが引き起こした騒動を知っているだろうか。

 大島さんというと、『愛のコリーダ』『愛の亡霊』『戦場のメリークリスマス』などの名作を手掛け、今も続く長寿番組『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)のパネリストとして活躍していた。当時の大島さんは、討論相手に「バカヤロー!」などと一喝する場面も多々あり、血の気がみなぎる熱い男だったのだ。

 一方の野坂さんというと、反戦小説として知られる『火垂るの墓』の作者である。この物語は、戦時中に起こった兄弟の悲劇を描いた作品だが、野坂さんの実話自伝だとも言われている。無類の酒好きで知られた野坂さんの酒豪伝説は、語り始めれば止まらない。ある時は、泥酔状態で番組に出演して爆睡することも。現代では考えられない仰天エピソードの持ち主であった。

 その酒癖の悪さが引き金となった大トラブルが起こったのは1990年10月、平成2年のこと。東京プリンスホテルで大島さん・小山明子夫妻の結婚30周年パーティーが開催され、そこに野坂さんの姿もあった。出席者が約1500人にも上った盛大なパーティーの締めくくりに事件は起きたのだ。

 野坂さんは祝辞を披露するこの日のために、10日ほど前から和歌を6首も作って張り切っていたという。野坂さんは非常にシャイな性格で知られ、テレビに出演の際には緊張を紛らせるために酒に頼ることが多々あった。

 この日は挨拶までの間に、ダブルのウイスキーを10杯ほど飲んでいたとされている。自らがホスト役も務めていた大島さんは、バタつく進行の中、野坂さんが途中で帰ってしまったと早とちり。肝心の挨拶をカットしてしまったのだ。だが、野坂さんの存在に気付いた大島さんは慌てて壇上に野坂さんを招き入れたが、すでに泥酔状態だった。

 無論、会場はざわつきながらも、壇上に上がった野坂さんは落ち着いて祝辞の和歌を読み上げた。会場は大いに盛り上がり、大島夫妻にも笑顔がこぼれた。そして、大島さんが「ありがとうございました」と言いかけたその瞬間に、突如大島さんの頬に野坂さんの右フックが入ったのだ。大島さんのメガネはズレ落ち、よろけて後ろに倒れそうになりながらも、すぐさまマイクで野坂さんを反撃した。そのとき、マイクの電源は入っており、野坂さんの頭を叩く「ゴン!」という鈍い音が響き渡り、再び会場内は騒然となった。

 大島さんに忘れられ怒りが込み上げた野坂さんは、ついつい乱闘騒ぎに導いてしまったようだ。突然の騒動に招待客らは呆然としたが、冷静に笑顔で2人を取りなす明子夫人の“大人の対応”でその場は収束した。

 最終的には、大島さんが「悪いのは僕です」と非を認め場内にアナウンスしたものの、野坂さんは「わざと俺を忘れただろう!」とわめき散らした。そして、怒り心頭のまま関係者に引きずられ場外へ消え去って行った。

 だが、すぐさまお互いが謝罪し合い、遺恨は消えたようだ。驚くことに、この件をきっかけにこれまで以上に交流が深まったという。まさに「拳で語り合う」“昭和の男たち”であった。

 2013年1月、大島さんは肺炎により80歳で、そして15年12月に心不全で野坂さんも85歳で生涯を終えた。

 あらゆる分野で多大な功績を残し歴史に名を刻んだ両者は酒豪で知られ、やりたいことを貫いて生き抜いた。あちらの世界でも熱い討論を繰り広げ、酒を酌み交わしているであろう。

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