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田中角栄「名勝負物語」 第二番 福田赳夫(8)

 「アニ(新潟のお国言葉で跡取り息子をこう呼んだ)に注文なんて、ございませんよ。人さまに迷惑をかけちゃならねぇ。この気持ちだけだな。これだけありゃ、世の中、しくじりはござんせん。他人の迷惑は関係ねぇです。働いて、働いて、精一杯やって、それでダメなら帰ってくればええ、おらは待っとるだ。

 総理大臣がなんぼ偉かろうが、そんなこと関係しません。人の恩も忘れちゃならねぇ。はい、苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、政治家なんて、喜んでくれる人が七分なら、怒っている人も三分はある。それを我慢しなきゃ。人間、棺オケに入るまで、いい気になっちゃいけねえだ」(『文藝春秋』昭和47年9月号=要約)

 平素から、「人間は“引き際”が肝心だ」と口にしていた田中角栄の母・フメは、田中が世論から大歓迎で迎えられた首相就任直後、インタビューにこう答えた。貧しい子供の頃から、田畑仕事で一家を支えた母のうしろ姿を見て育った人一倍、母親想いの田中ゆえ、「角栄よ、デカいことをいうでねぇ」と題したこの記事を読み、子を思う母を浮かべて人知れず号泣したことは容易に想像できる。

 それからわずか2年ほどで金脈・女性問題をキッカケとしての首相退陣、さらに続くロッキード事件の表面化でズタズタになった田中は、とりわけ後者を「潔白」としてその汚辱を晴らしての「復権」に全精力を注いだ。そのためには、自民党内の支持基盤が大事と、派閥の増強になり振りかまわぬ体であった。自民党内から「闇将軍」との声が挙がったのも、この頃である。

 一方、自民党内では「ポスト田中」を巡って熾烈な争いが演じられていた。有力候補は田中の「盟友」大平正芳と、「角福総裁選」に敗れて再起を期す福田赳夫の二人であった。大平は田中派の全面支持、三木派も反福田色が強く、総裁選での決着を主張した。

 しかし、一方の福田は総裁選となれば不利が明らかだったことから、総裁選では派閥対立が激化することに加え、田中のスキャンダラスな退陣を引きずっていることで民意が党から離れることを理由に、話し合い決着を譲らなかった。福田、大平両派の後継争いはますます激しくなり、自民党はあわや分裂かという危機的状況を迎えたのだった。

 そうした中で、分裂回避にはこの道しかないとして、ついに自民党は時の長老格で副総裁の椎名悦三郎に田中後継の調整をゆだねることとなった。椎名は考え抜いたすえ、それまで党近代化を唱え続けてきた三木武夫を「裁定」した。ところが、田中がロッキード事件で逮捕となると、自民党内は「もはや世論にロッキード隠しは通用しない。三木はキレイ事ばかり言っている」などとして、一気に三木退陣論が噴き出した。

 もとより田中派は、「三木には惻隠の情がない」としてこれに同調。福田、大平ら各派もこれに組みし、「人心を一新して挙党体制を確立する」との名目を掲げて「挙党体制確立協議会」を立ち上げた。世に言われた「三木おろし」の策謀であった。

 孤立状態となった三木は、総選挙を打って反撃の勝負に出たが敗北、責任を取る形で首相辞任に追い込まれた。その後継首相のイスには、福田赳夫がすわった。「角福総裁選」での敗北から4年半、忍従と悲願の末、手にした首相のイスであった。

★福田の“豹変”

 しかし、恬淡とした人柄で鳴っていた福田が“豹変”した。当時を取材した政治部記者の弁がある。

「福田は『ここは僕にやらせてくれ。その次は君だ』と大平に“約束”、自民党両院総会で流れをつくった。大平は『次は自分だ』と確信して福田に協力という姿勢を取ったが、福田に心境の変化が出た。苦節、ようやく手に入れた首相の座を手放すことが惜しくなった。“権力”というものの魔力です。大平という人物は、クリスチャンで人と争うことは嫌いなタイプだが、福田が『禅譲』に二の足を踏み出したことには不信感をつのらせた。その大平の背中を押したのが、田中角栄だった。田中は自らの影響力温存のためには、“親田中”政権をつくることが不可欠と考えた。迷う大平に、田中は言った。『戦うしかない。勝負だ』と」

 かくして、福田と大平は総裁選で激突することになった。事実上の「角福戦争」“第2ラウンド”へ突入である。下馬評は「福田有利」だったが、勝負に出ると全力投球の田中の陣頭指揮のもと田中派が獅子奮迅の働きを見せ、結果は大平が逆転勝利することになる。

 自民党総裁選はこのときから、今の地方票に似た「予備選挙」が導入された。一般党員による予備選で候補者上位2名に絞り、次の国会議員による投票で総裁を選出するというものだった。党内世論である予備選で1位になることは、国会議員の投票行動を左右する。田中は、大平の1位に向けて死力を尽くした。

 全国に張り巡らした強大な人脈を駆使、地方の政界、経済界の有力者に自ら手紙を書き、電話をかけまくった。4年前の「角福総裁選」で強力な支援体制を取った田中派「秘書軍団」も、それこそ“火の玉”となって大平勝利に動くのだった。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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