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デビュー20周年KinKi Kidsiのあふれる関西愛

 今年がデビュー20周年目突入イヤーにあたり、20日、その第1弾CD『薔薇と太陽』をリリースしたKinKi Kids。当たり前のように発売初日で10万枚超えを達成し、“オリコンデイリーランキング”で首位をゲット。ギネス記録に認定されている、同一アーティストの初登場第1位の記録を「36作」に伸ばした。

 KinKiは、ジャニーズ事務所初の関西発アイドル。奈良県出身で、すでに子役タレントとしての実績を積んでいた堂本剛と、少年隊のファンだった姉が勝手に履歴書を送付した、兵庫県出身の堂本光一によって結成された。光GENJIのバックダンサーを経て、“直属の兄貴”といえるSMAPのバックについたあたりから、人気に火がついた。およそ2年、SMAPの頼れる右腕だったことで、関西ジャニーズJr.で頭ひとつ抜けた存在になった。

 バックについていた92年には、“NHK紅白歌合戦”に出演(当時ともに13歳)。中居正広から「KANZAI BOYA」(カンサイボーヤ)と紹介され、翌93年4月にオンエアされた『キスした?SMAP』(ABC朝日放送)で、「KinKi Kids」と正式発表された。翌94年には、SMAPの初主演映画『シュート!』や、フジテレビの人気深夜バラエティ『夢がMORI MORI』に出演。SMAPのライブでは、「スペシャルゲスト」の扱いでパフォーマンスタイムが設けられたほど、人気は不動だった。

 “カンサイ”から“キンキ”に移る際、2人のままか、4人、6人に増員するか、改名するかでジャニー喜多川社長は迷っている。増員候補に挙がったのは、TOKIO・長瀬智也とV6・井ノ原快彦。「ジパング」というグループを新たに結成して、デビューさせるプランが浮上したのだ。結果的にそれは噂だったのか、ジャニーさんは、自身の管轄下にあった剛&光一と長瀬&井ノ原を差別化して、エリートコースを歩ませた。同時に、関西というマーケットの市場拡大を視野に入れて、ジュニアを精力的に集めた。第2のKinKiとなるべくグループを何度も作り、02年に関ジャニ∞の前身ユニットを発進させている。

 そんな剛と光一。わずかながらも、安易に「W堂本」と呼ばれた時代もあった。そんなときを経ての、KinKiの20年。称えられるだけの功績は十二分にあるのだ。

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