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森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 そして労働者は道具になる

 政府の規制改革会議が、3月25日、金銭解雇制度の導入を提言した。金銭解雇というのは、労働者が解雇され、たとえ裁判で「不当解雇」と判断されても、企業が一定の金額を支払うことで解決させる仕組みだ。「手切れ金を支払えば、いつでも従業員のクビを切れる」という制度は国民の強い反発を招き、何度も見送られてきたが、いよいよ導入に向けての動きが本格化し始めたのだ。
 また、一定範囲の社員の残業代をゼロにする「ホワイトカラーエグゼンプション」制度の方は、一足早く4月3日に閣議決定され、議論の舞台が国会に移った。
 少しでも上司に逆らえばすぐにクビを切られるので何でも言うことを聞いていると、残業代ゼロで無制限に働かされる。すべての企業をブラック企業化するような制度変更が、もう目前に近づいてきているのだ。

 ところが、こうした制度変更を支持する経済学者が意外に多い。彼らの話を聞くと、日本は企業の収益率が低く、それを高めるためには労働市場の流動化が必要だという。確かに労働者を地獄の底まで使い倒して、不要になったらさっさと切り捨てれば、企業が儲かるのは確実だ。ただ、こうした制度改正によって、サラリーマンの暮らしから安らぎが失われてしまうことも、また事実なのだ。なぜそんな社会を目指そうとするのか。
 私は、いまの主流になっている新古典派経済学が根本的な過ちを犯しているからだと考えている。私が大学生だった時代には、経済学はマルクス経済学と近代経済学の二本立てだった。マルクス経済学では、付加価値の唯一の源泉は労働だ。ところが、主流派となった新古典派の経済学は、そうではない。資本家が機械などの資本財を買ってきて労働力と組み合わせると、付加価値が生まれると考えるのだ。つまり、労働力は道具と横並びの存在になった。
 労働者は道具だから、使えるだけ使って、壊れたらゴミ箱行きにする。そうやって企業が利益率を高めれば、それをみて世界中から投資が集まり日本経済は繁栄するというのが、いまの主流派経済学者たちの考えなのだ。

 マルクス経済学は、ソ連の崩壊など社会主義国の経済運営の失敗で、間違った理論だと片付けられてしまった。いまでは、大学の経済学部でマルクス経済学を教えているところはほとんどない。しかし私は、労働価値説は間違っていなかったと思う。それどころか、資本が付加価値を生み出すという現在の経済学の方が間違っているのではないかと思うのだ。
 会社が収益を稼げるのは、中で働く従業員が一生懸命努力をし、創意工夫をし、額に汗して働くからだ。確かに会社に資本金は必要だが、あえて言えば、資本家は単にお金を出しただけだ。だから会社が儲かったときには分け前をもらってもよいが、資本家が会社を支配して従業員を道具のように扱うということ自体が、私にはとても理解できない。
 ただ、残念ながら法律上は、会社は株主のもので支配権は株主にある。しかし、従業員を道具扱いするような会社は長期間繁栄を続けることができないだろう。そうした会社の従業員は、会社の長期の発展のために考え、努力することなどないからだ。

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