新日本プロレス90年代初期の“最強外国人”ビッグ・バン・ベイダー死す!

スポーツ 2018年06月21日 11時40分

新日本プロレス90年代初期の“最強外国人”ビッグ・バン・ベイダー死す!ビッグ・バン・ベイダー/新日本2017.10.9両国国技館大会より

21日未明に突然の訃報が飛び込んできた。

世界最大のプロレス団体WWEは日本時間21日0時41分にツイッターを更新。「ベイダーことレオン・ホワイトが月曜(米国時間18日)の夜に63歳で亡くなった」とツイート。これに先立ち、20日の23時47分にはベイダーの公式アカウントで息子さんが訃報を伝えている。新日本プロレスの最強外国人選手として90年代初期の黄金期を支えたベイダーの訃報に日本のレスラーや関係者は衝撃を受けている。

ベイダーは学生時代からアメリカンフットボールの有望選手として期待され、NFLでも活躍している。膝の怪我が原因で引退すると、ブラッド・レイガンスにスカウトされ、当時アメリカ第3の団体だったAWAや、ヨーロッパマットで暴れていたところをマサ・サイトーが新日本プロレスにスカウト。1987年12月にあのビートたけし率いる、たけしプロレス軍団(TPG)の刺客として、たけしやたけし軍団とともに、永井豪がデザインした甲冑姿でアントニオ猪木の前に現れ、当日発表されていた猪木対長州力のシングルを強引に変更させてしまい、猪木をシングルで秒殺したが、このカード変更に激怒した観客が暴動を起こし、新日本はしばらく両国国技館を使用できなかった。

時代が平成に入ると、体力的に落ちてきた猪木から、“飛龍革命”を宣言した藤波辰巳(藤波辰爾)を新たなライバルとし、数々の試合を繰り広げ、闘魂三銃士の、故・橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋にとっては厚い壁として立ちはだかった。ファンはそんなベイダーの強さから“新日本愛”を感じ、1990年2月10日に行われた、当時全日本プロレスに所属していたスタン・ハンセンとの夢の新旧新日本最強外国人対決は、予想を遥かに上回る迫力満点の名勝負となり、結果は両者リングアウトの引き分けに終わったが、ベイダーが試合を押していたこともあり、全日本との対抗戦3連戦のうち2連敗していた新日本ファンの溜飲を下げて見せた。新日本の木谷高明オーナーもこの試合を「外国人対決ではハンセン対アンドレ・ザ・ジャイアントを超えるベストバウト。ああいう大会をまたやりたい」と新日本買収時に話している。

新日本最強外国人としてIWGPヘビー級王座を3度戴冠しているベイダーだが、91年から新日本と当時アメリカでWWEと双璧をなしていたメジャー団体WCWが業務提携したことで、WCWはベイダーにオファーし、すぐにトップレスラー入りを果たし、WCW世界ヘビー級王者になったため、徐々に来日頻度が落ちていった。そんな矢先、1993年2月に新日本にとっては最も目障りだったUWFインターナショナルがベイダーの参戦を発表。Uインターに引き抜かれたベイダーはスーパーベイダーにリングネームを変更し、元IWGPヘビー級王者として、高田延彦、故・ゲーリー・オブライトらと「フォールとロープワークがない」UWFルールで戦い抜き、高田からプロレスリング世界ヘビー級王座(ルー・テーズベルト)も奪取している。

1996年の1.4東京ドーム大会では、猪木引退カウントダウンの対戦相手として、新日本に一夜復帰を果たす。この試合はベイダーの投げっぱなしジャーマンで猪木が失神。その後も高角度チョークスラム、ベイダースプラッシュ、さらにはムーンサルトプレスまで放つも、猪木は全ての技を受けた上で、ベイダーに勝利を収めている。ベイダーにとっては、猪木の受けの凄さを引き立てる損な役回りになってしまったが、あの時、新日本を裏切った罪滅ぼしのようにも見えた。

その後、全日本プロレスに移籍すると、かつての強さとキレが戻り、故・三沢光晴、川田利明、小橋建太らのライバルとして名勝負を量産。ハンセンや、スティーブ・ウィリアムスなどかつての盟友とも再会を果たし、新日本時代以来のタッグも結成している。2000年に三沢が全日本を退団し、プロレスリング・ノアを旗揚げすると、ベイダーも行動をともにしたが、素行不良が原因で早々に離脱。

ノア離脱後は再びアメリカに戻りWWEにも参戦。日本でも自主興行をはじめ、インディー団体にも参戦するなど、一連の行動から、親日家としての一面が見られた。最後の来日は、昨年の4月。後楽園ホールと大阪で開催した藤波のデビュー45周年記念ツアーに出場。後楽園では、武藤、AKIRAと組み、藤波、長州、越中詩郎組と対戦。試合後、猪木も登場したセレモニー中、突然リング状にあおむけに倒れた。その後意識を回復し、自力で控室へ戻ったが、大阪大会では試合ではなく藤波とトークショーを行った。藤波がWWEの殿堂入りをした際も、笑顔で拍手を送る姿が世界に配信されるなど、ベイダーにとって藤波は大切な存在だったようだ。

私にとって個人的に残念だったのは、新日本からUインターに移籍してしまったことである。ベイダーが出場した『G1クライマックス』は1991年8月の第1回大会のみ。もう何年か参戦していれば、まだまだ面白いカードが実現したかもしれない。蝶野はベイダー超えをできないまま移籍している。

ベイダーの死去により、盟友だったクラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートン、トニー・ホームの新日本外国人四天王で存命しているのはノートンのみ。ウィリアムスもオブライトも天国に旅立ってしまった。ベイダーはデカくて強くて上手い外国人だっただけに、新日本ファンにとっても誇れる存在だった。1991年3月に東京ドームで、ビガロを組み、WCWのドゥームと対戦した時の歓声は忘れられない。

合掌

文・写真 / どら増田

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