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1993年3月「北九州監禁殺人事件」 希代の殺人鬼・松永太が生み出した“猟奇の極致"とは…

 17歳の少女を含む、平凡な地方の農村地帯に暮らす一族を監禁して執拗なる拷問を続け、互いに殺し合いをさせ、遺体を損壊するように追い込むという、日本犯罪史上まれに見る残忍な事件が明らかとなったのは、2002年3月のことだった。主犯格の男によって実夫を拷問死に追いやられた17歳の少女が、生爪を剥がされた足を引きずるようにして、監禁先のマンションから祖父母宅へと逃げ込んだことにより、前代未聞の猟奇殺人は発覚した。

 事件は、松永太(当時40歳)という人心掌握術に長けた希代のサイコ型犯罪者と、その内縁の妻・緒方純子(当時39歳)によって引き起こされたが、松永の蛮行を長年にわたって受け入れ続けた純子の内面性に、世人の多くが注目することとなった。

 1962年、福岡県久留米市の豪農の家に生まれた純子は、高校卒業後、地元の短大へと進学。しかし彼女が20歳を迎えた頃、同じ高校の出身であった松永が彼女に急接近を試みると、その人生は一変する。松永は当時、すでに妻子ある身であったが、高校の卒業アルバムを眺めながら好みの女を物色し、手当たり次第に連絡をとっていたのである。

 松永が妻子ある身であることを知りつつも肉体関係を持ち続けた純子は、その後、両親が止めるのも聞かず、ついには松永に籠絡されてしまう。松永は純子の母親や妹と相次いで関係を持ち(母親と妹は後に殺害)、事実上の口封じと奴隷化に成功すると、彼女たちの夫や幼い子ども、さらには共同事業を持ちかけてきた不動産会社の男性までも監禁・拷問の末に殺害したのだ。

 助かった少女の証言から、松永に殺されたのは彼女の父親だけでなく、一緒に生活していた純子の父母、姉夫婦、その2人の子供も被害者だったことが発覚していく。監禁部屋で暴君として君臨していた松永は、殴る蹴るの暴力で屈服させて金を要求し、命令に応じなければ電気コードによる感電拷問(乳首や陰部にも使用)で一家を服従させていた。家族に順位をつけ、最下位の者は裸で狭い風呂場で生活させ、感電拷問でギャーと悶えてもらした下痢便さえ、もう一度食べさせていた。

 こうした虐待と拷問が続く地獄のようなマンションで、家族たちは殺し合いを演じ、その遺体をバラバラに解体し、遺棄していたのである。加害者の一人や純子も日常的に松永から暴行を受けており、虐待が他人への虐待に連鎖した結果、7人連続殺人というおぞましい事件になったのだった……。

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