初の大臣となった石原の“舌鋒”は、さらに勢いを得たように鋭かった。
例えば、月刊誌『現代』で環境庁記者クラブの記者を批判、この発言により同記者クラブが反発して1カ月以上にわたり定例記者会見をボイコットする騒動があった。また、「ネクタイは産業優先時代の遺物。役所からネクタイを追放したい」とやって、日本ネクタイ組合連合会から抗議を受けたこともあった。相変わらず、自信満々、怖いものなしの石原であった。
一方の田中角栄と言えば、ロッキード事件が表面化、やがて逮捕、さらには最愛の新潟の母・フメが死去するなど、置かれた状況は最悪であった。しかし、「闇将軍」として政界への影響力保持には一歩も引かず、福田首相を2年で引き降ろして、「盟友」の大平正芳を担ぎ上げ、その大平が首相在職中に急死すると、やはり気心の通じた鈴木善幸を首相の座に担ぎ上げるといった具合だった。
そうしたさなか、石原と肩を組んで「青嵐会」を結成した中川派領袖であった中川一郎が、北海道・札幌市のホテルで謎の自殺を遂げるといった事件があった。“田中批判”を掲げる「青嵐会」ではあったが、田中はこの中川の人柄、将来性を買っており、裏では何かと“政治指南”もしていただけに、さらなる心痛を負った形となった。
一方の石原もまた、「盟友」の死は大きなショックだったと思われる。中川の死は、対峙する田中、石原両人にポッカリと穴を開ける出来事でもあった。石原はまた、中川の死の直後、実弟・裕次郎が病状悪化となるなども加わり、穏やかな日々とはかけ離れたもののようであった。
そうした中、田中が脳梗塞で倒れた。昭和60年2月、すでに重篤で再起は絶望視される中で、折りから田中派幹部だった竹下登がすでに「派中派」としての「創政会」を結成していたが、これを機とするように田中派の大勢をまとめた形で一気に政権の座に就いたのだった。竹下は、石原を運輸大臣として起用した。
石原は間もなく、裕次郎の死と向かい合うことになる。
この裕次郎の死は、さらに石原を突き動かすことになったようだ。天下取りへのチャレンジ、すなわち初の総裁選出馬への決断である。
折りから、田中の呪縛から解かれて悲願の首相の座に就いた竹下は、リクルート事件に連座して失脚したが、影響力温存を窺って気脈のある中曽根派幹部だった宇野宗佑を首相の座に押し上げた。が、この宇野も就任早々、花街・神楽坂の芸者とのスキャンダルが発覚、そのさなかの参院選で敗北してわずか68日で退陣という自民党にとっても混沌とした時代であった。
★総裁選出馬、再びの挫折
平成元年、時の総裁選は三木派から河本(敏夫)派に代わっていた同派幹部の海部俊樹、田中派分裂後の竹下派に加わらずの二階堂進のグループから林義郎、そして石原の3人が手を挙げた。「角福総裁選」以来、じつに7年ぶりの国会議員と都道府県代議員による投票で争われたが、結果は最大派閥の竹下派が推した海部が451票中278票を得て勝ち上がった。
海部勝利の背景には、早稲田大学雄弁会で海部の先輩でもあり親密だった竹下が、「宇野後」のさらなる影響力温存のため担ぎ上げたという理由のほかに、田中以来、間断なく続いた「金権」風潮に対し、自民党再生のために「クリーン・イメージ」の強かった海部に軍配が上がったということであった。
さしもの石原も、それまで一貫して「金権」批判に徹していたものだったが、政界の力学「数の論理」には勝てなかったということでもあった。批判の最大の標的だった田中がすでに亡くなっていたのも、少なからずの影響があったとも思われた。
再びの挫折感を味わわされた石原は、それから6年後となる平成7年4月14日の国会議員生活25周年の国会演説で、当時の政治状況を「今の国家は去勢された宦官である」と批判、「私は、今日この限りにおいて国会議員を辞職させていただきます」と結んだのだった。この突然の辞職表明は衆院本会議場をざわつかせたが、「いかにも石原らしい辞め方だ」という声もあったのだった。
参院議員として初当選、その後、衆院議員に転じ、その衆院議員を辞めて都知事選に出馬して敗北、さらに衆院議員として国政に戻ったもののまたもやの辞職。政治家としては異例中の異例の“転変”だが、石原はこれで収まらなかった。突然の衆院議員辞職から4年後の平成11年、一度は敗れた都知事選に再び打って出るのである。時に67歳。それから十余年、石原は『天才』という田中角栄“激賞”本を出すことになる。「希代の政治家」「未曽有の天才」と手放しだった。
石原の中に、何が起こったのか。
(文中敬称略/この項つづく)
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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。