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2018年11月4日の23時30分頃、森嶋猛がタクシー運転手への暴行により新宿・歌舞伎町の路上で逮捕された。乗車代金である約1万8000円の支払いを拒んだ上、森嶋は運転手を殴打して頬骨を折る重傷を負わせたという。
結果的には不起訴となったが、さすがに一般人への暴行とあって印象は悪い。
「この頃の森嶋は、タクシーでなじみの飲み屋へ乗り付けて、そこにいる知人やファンに乗車代を払ってもらうということを繰り返していたと聞きます。だから、この日も同様に夜の街をうろつき、その揚げ句のことだったのでしょう」(スポーツ紙記者)
事件の約1カ月前の10月には、’15年の引退からおよそ3年ぶりとなる復帰戦も予定されていたが、練習中の故障により出場を断念。大会自体も中止となっている。
「こんな事件があっては、再度の復帰戦といっても難しいでしょうね」(同)
1998年、全日本プロレスに入門した森嶋は、190センチの長身から将来を嘱望されていたが、デビューからしばらくは巨体を持て余すような不完全燃焼の試合ぶりが目立っていた。
頭角を現したのはプロレスリング・ノアへ移籍してからのこと。同じ大型の力皇猛と激しく争い、そのライバル関係が徐々にファンや関係者に浸透していった。
その力皇とタッグチーム「ダブル猛」(のちに「WILDⅡ」)を結成すると、2002年には髙山善廣&大森隆男の「ノー・フィアー」を破ってGHCヘビー級タッグ王座を獲得。ベイダー&スコーピオ組、新日本プロレスの中西学&吉江豊組といった大物挑戦者たちを退けてトップ戦線へと躍り出た。
2003年には、ハリー・レイスの主宰するWLW(レスリングアカデミー兼アメリカのインディー団体)の王者ロン・ハリスを破って、自身初となるシングルタイトルを獲得している。2008年にはノアの頂点であるGHCヘビー級王座を獲得。三沢をバックドロップで破る完全勝利であった。
「たまたま1回だけ王座に就いたのとは違い、森嶋は同タイトルを3回獲得した上にトータルでは10回の防衛を果たしている。まごうことなきノアの看板選手の1人だったのです」(同)
そんなトップレスラーが、引退からわずか3年でなぜ暴行逮捕される事態になってしまったのか?
2015年の引退は糖尿病に起因する重度の疾患によるもので、現実問題としてフルタイムの参戦は困難だったが、体調を見ながらの特別試合ぐらいはできたかもしれない。
「ただ、2009年に三沢が亡くなってからのノアは業績悪化の一途にあって、セミリタイア状態の森嶋に報酬を払い続けることは避けたかったのでは…」(プロレスライター)
★「太った少女」とビンスが酷評!
それでも森嶋のキャラクターを“価値あり”と見たならば、他団体から声がかかってもおかしくないところだが、実際、そうはならなかった。
「結局はノアの中だけのチャンプだったということなんでしょう」(同)
丸藤正道やKENTA、杉浦貴といったジュニアサイズの選手たちがトップを争っていたノアにあって、森嶋の巨体は得難い特徴だったろうが、他のメジャーどころでは特に際立ったものではない。
2008年のGHC王者当時にWWE入りを目指して挑んだテストマッチでは、ビンス・マクマホンに「太った巨大な少女のようだ」「ずんぐりとしてパッとしない」などと酷評されたと伝えられる。
「2005年、故障欠場から復帰直後のタッグマッチで天龍源一郎と対戦した際には、入場曲にジャンボ鶴田のテーマ『J』を使用したところ、全国のファンからクレームが殺到したそうです」(同)
鶴田とは似ても似つかない肥え太った体でそのテーマ曲を引き継ぐのは、故人への冒涜だというわけで、これには対戦相手の天龍も同様主旨のコメントを残している。
「髙山善廣がテレビ解説の際、森嶋の荒々しいファイトを見て『まるでスタン・ハンセンみたいだ』と笑いながら評したこともありましたが、もし巨漢レスラーのライバルと見なしていたならば、逆にもっと厳しい評価をしたのでは? だいたい森嶋自身は髪形も含めてテリー・ゴディをイメージしていたのに、それがほぼ身内の髙山にすら伝わっていないとは…」(同)
三沢の死や小橋建太のリタイアで次期トップの促成栽培を迫られたという団体事情が、森嶋のレスラー人生を狂わせたという部分も少なからずあっただろう。
森嶋猛
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PROFILE●1978年10月15日。東京都江戸川区出身。身長190㎝、体重125㎏。
得意技/バックドロップ、パワーボム、フライング・ボディシザース・ドロップ。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)