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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「小林邦昭」日本を_熱狂させた“虎ハンター”の軌跡

 初代タイガーマスクの三大ライバルとしてダイナマイト・キッド、ブラック・タイガーと並び称される小林邦昭。
 マーシャルアーツ風の赤いパンタロン姿で回転蹴りを放ち、禁断のマスク剥ぎにかかるその姿は、今もなお多くのファンの記憶に刻まれている。

※ ※ ※
 悪役レスラーほど善人が多いというのはプロレス界ではよく言われることで、確かに根っからの悪人が凶器を持って暴れたときには、傷害事件にもなりかねない。
「反則攻撃などで観客をヒートアップさせつつも、相手に大ケガをさせるような試合に支障をきたさない程度のギリギリの線を狙う。性格の善し悪しはともかく、最低限の常識なり配慮が求められることは間違いないでしょう」(プロレスライター)

 そのためファンの間でも「実はあの選手がいい人で…」というような噂話がよくされるが、そんな中でも“善人確定”と言えそうなのが小林邦昭だろう。

 国民的ヒーローだった初代タイガーマスクのライバルとして、マスク剥ぎをもっぱらとしていた頃は、タイガーのファンから目の敵にされていた。脅迫状やカミソリ入りの手紙が頻繁に届き、それで手を切ってかなりのケガを負ったとの逸話もある。

 しかし、引退後は新日本プロレス道場の管理人となり、料理をふるまうなど新人たちの面倒を見ていて、それが10年以上にわたって続いているという。

 一時期はスイーツ作りに凝っていたため、練習生たちが太ってしまったという女子力高めのエピソードからは、昭和の時代に“虎ハンター”として憎まれていた頃の姿はうかがえない。

 マスク剥ぎも本当に素顔を露出させれば終わりなわけで、そのあたりの程のよさも小林の人間性を表しているようではある。

 1972年、高校を中退して旗揚げ直後の新日に入門した小林は、翌年の栗栖正伸戦でプロデビューを果たしたものの、長らく前座生活が続く。特別に体が大きいわけでもなく、ルックスも特段よくもなければ悪くもない。空手をやっていたというが、これもプロで実績を評価されるほどではない。入門時に16歳と若かったことを思えば、じっくり修行を積むのも当然の成り行きではあった。

 だが、厳しい前座生活の中で、後輩に追い抜かれるとなると話は違ってくる。小林の入門から3年後に入門した佐山聡(初代タイガーマスク)は、170センチそこそこの小柄でありながら練習熱心で、めきめきと実力を上げていった。総帥のアントニオ猪木にも目を掛けられ、小林に先立って1978年に海外武者修行へ出ることになる。

「のちに小林は、当時の佐山に嫉妬していたと話しています。そういうことを素直に言えるのも、また善人である証拠なんでしょうが…」(同)

 佐山に遅れること2年、小林も海外遠征のチャンスをつかむ。メキシコではアンドレ・ザ・ジャイアントのタッグパートナーに抜擢され、アメリカのロサンゼルス地区ではNWAアメリカス王座を獲得している。

 同王座は、かつてボボ・ブラジルやドリー・ファンク・ジュニア、ミル・マスカラスもベルトを腰に巻いた伝統あるもので、小林が遠征した当時のロサンゼルスは低迷していたというが、それでも若手にとっては堂々の勲章と言えよう。

★かませ犬事件で自らも一念発起

 だが、1982年10月に帰国した小林に対して、華々しい舞台が用意されることはなかった。久々となる日本での試合は、木戸修と組んでの二線級外国人たちとのタッグマッチ。日本初披露となった新技、フィッシャーマンズ・スープレックスで勝利しても反応はいま一つであった。

 この時、ファンが待ち望んでいたのはタイガーマスク…小林の1年先に帰国して一大ムーブメントを巻き起こしていた佐山であった。

 この格差に暗たんたる思いでいた小林がメインイベントのリングに目をやると、そこで日本プロレス史に残る大事件が起きていた。やはりこの日にメキシコから凱旋帰国した長州力が、藤波辰爾に食ってかかったのだ。いわゆる“かませ犬事件”である。

 年齢は長州のほうが上だが、ほぼ同期ということもあり、その姿に感銘を受けた小林は一念発起する。タイガーのライバルとして名乗りを上げたのだった。そうして大阪でシングルマッチが組まれ、小林は禁断のマスク剥ぎを断行する。

 それまでタイガーのライバルだったダイナマイト・キッドやブラック・タイガーが純然たるヒールでなかったこともあり、小林の悪役人気は沸騰。勝ちっぱなしだったタイガー打倒への期待もあってか、すぐに組まれた蔵前国技館での再戦では、タイガーへの声援と変わらぬほどの小林コールも起きている。

 翌年8月にタイガーが電撃退団したため、実際の抗争期間は1年足らず。シングル6戦はタイガーの全勝(反則4、リングアウト1、フォール1)でありながら、今なおファンの記憶に残る名勝負を繰り広げることになったのだった。

小林邦昭
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PROFILE●小林邦昭(こばやし・くにあき)1956年1月11日生まれ。長野県小諸市出身。
身長183㎝、体重105㎏。得意技/フィッシャーマンズ・スープレックス。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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