search
とじる
トップ > その他 > コンピューターゲームの20世紀 第43回『コンピュータースペース』

コンピューターゲームの20世紀 第43回『コンピュータースペース』

<成功の前には失敗あり>

 21世紀の現在においては見る影もないが、20世紀のコンピューターゲームは常にアーケードゲームがリードしていた。最新のゲームはアーケード用に開発され、『スペースインベーダー』『ゼビウス』『ストリートファイター㈼』『バーチャファイター2』といったゲームは社会現象とも言えるほどのブームを引き起こしていたのだ。

 今回紹介する『コンピュータースペース』は世界初のアーケード版TVゲームとして歴史に名を残した作品。その巨大な筐体はFRP(繊維強化プラスチック)で作られ左右非対称にくねって非常に特徴的であり、宇宙空間をモチーフとしたゲーム性と相まって「未来」を強く感じさせるものになっている。製作者は後にATARIの創業者となるノーラン・ブッシュネルで、彼はあるゲームをもとに本作を作り出した。

 そのゲームとは1962年にMIT(マサチューセッツ工科大学)の学生スティーブ・ラッセルらが作り出した『スペースウォー!』と呼ばれるゲーム。『スペースウォー!』はPDP-1と呼ばれるコンピューター上で作成され、それには鑽孔紙(さんこうし)という記録媒体が備わっていたため、MIT以外のPDP-1上でも同作を遊ぶことができた。そして、当時学生であったブッシュネルはユタ大学のPDP-1で『スペースウォー!』で遊ぶことに夢中になっていたのである。

 PDP-1は大学の一部屋を必要とするほど巨大なものであったが、それから8年後の1970年には各種電子部品が驚くほど小型化されていた。そのため、以前よりも圧倒的に安価で小さいTVゲームを作り出すことが可能になっていたのである。そこでブッシュネルはかつて自分が熱狂した『スペースウォー!』を、小型の電子部品を組み合わせることで製作しようとした。こうして『コンピュータースペース』の試作品は完成し、1971年10月にナッチング・アソシエーツ社から製品版が販売されることになったのである。

 『コンピュータースペース』のゲーム性を簡単に説明すると、ロケットを操縦し宇宙空間上に出現するUFOや隕石を撃ち落とすというもの。ゲーム自体は制限時間で終了し、撃ち落としたスコアを競うというルールであった。操作系はコンパネの写真を見ていただければ分かるように4つのボタンで構成されている。このうち2つのボタンで宇宙船を右or左に旋回させ、推進ボタンを押せば宇宙船は前進する。さらにFIRE MISSILEボタンを押せば宇宙船から弾が発射され、攻撃することが可能であった。この操作方法は日本ではあまり馴染みがないものであるが、アメリカでは長く受け継がれていくことになり、ATARI社の『アステロイド』をはじめ1980年代初期まで同様のゲームが作られ続けていた。

 ナッチング・アソシエーツ社は本作に相当な自信を持っていたようで、気合いの入った筐体や映画女優を使用したフライヤーからもそれが伺える。しかし、本作はその期待とは裏腹に評判が悪く、セールス的に失敗してしまった。その原因はいくつかあるが、最も大きいのは「本作が難しすぎたから」というものであろう。当然ながら当時はゲームセンターなどというものは存在せず、本作は主に酒場に設置されていた。ゲームに不慣れなうえ酒に酔ったプレイヤーが遊ぶには本作の操作とルールは難しすぎたのである。1年後に操作系にジョイスティックを採用し、2人対戦を可能にした後期型が発売されたが、セールスが改善されることはなかった。

 本作の不振のせいもあってナッチング・アソシエーツ社は1974年に倒産することになったが、ブッシュネル自身はこの失敗から多くのことを学んだようである。そして彼がATARI社を創設し発売した『ポン』では、本作の反省をもとに非常にシンプルなルールと操作を採用。世界で初めてアーケードTVゲームで成功を遂げ、『ポン』以降TVゲーム市場は急速に拡大していくのである。(須藤浩章)
参考文献…それは『ポン』から始まった 赤木真澄 アミューズメント通信社

DATA
発売日…1971年
メーカー…ナッチング・アソシエーツ
ハード…アーケード

関連記事

関連画像

もっと見る


その他→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

その他→

もっと見る→

注目タグ