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松本と中居が真の“心友”になれた理由

 ダウンタウン・松本人志と中居正広といえば、頂点を極めた者同士。松本はお笑い界、中居はSMAPとして、男性アイドルグループの歴史を次々と塗り替えていった。松本は54歳で、中居は45歳。年齢差は9歳だが、相思相愛の間柄といっていい。

 出会いは、00年。松本の原案による初ドラマ『伝説の教師』(日本テレビ系)での初共演だ。それまでは、友情出演以外でドラマに出ないスタンスを貫いていた松本が、初めて挑戦した。2年D組の担任で“伝説の教師”を松本、副担任を中居が快演。松本の台本は、校内で起こるイジメや死、セックスや難病、少年犯罪といった問題を、独自の感性で台詞にするものだった。毎回2人にしか展開が読めない、完全アドリブのワンシーンがあるのも、大きな特徴だった。

 このころ松本は、不慣れな脚本執筆に追われ、疲弊し、仕上がりが遅れ、内容に矛盾が生じることもあった。そんなとき、中居が楽屋を訪ねてきて、分厚い台本の1ページ目からラストまでの読み合わせと修正に付き合ってくれた。このとき松本は、トップアイドルとしてではなく、1人の親友として中居と膝を突き合わせて付き合っていこうと思った。

 松本の父・譲一さんは14年8月、81歳で逝去。翌15年2月、中居の最愛の父・正志さんが、79歳でこの世を去っている。2人はともに、父が闘病していたことを一部の親しい友人にしか明かしていなかった。松本は密葬を終えたあと、事務所を通じて発表した。中居は、四十九日を終えたあと、自身がパーソナリティーを務めるラジオでようやく重い口を開いた。死後からおよそ3か月も経過していた。

 中居が松本に、父が闘病中であることを明かしたのは、亡くなる年の年始の食事会。「会いに行きたい」という松本の申し出によって、タモリ、笑福亭鶴瓶が来る日にあわせて来訪してもらった。末期だった正志さんはすでに話すことができず、体重は40kg台。松本は『日活ロマンポルノ』の歴史本を見舞い品として持参して、病室に1時間ほど滞在した。

 タモリ、あわせて鶴瓶も帰るころになると、松本はただ1人、「アカン。これだけワーワーやっててみんなで帰ったら、お父さんが寂しすぎるから」という理由で、1人でその後も20分ほど居残った。このとき中居は、「この人とこういうお付き合いをしていて、僕の目に狂いはなかったと思った」と、テレビ番組で明かしている。

 2人の関係性が強固になったワケは、ほかにもある。幼少期の境遇が酷似しているのだ。松本、中居ともに末っ子。松本は兄と姉、中居は2人の兄がいる。松本は兵庫県尼崎市、中居は神奈川県藤沢市出身で東西に分かれているが、ともに幼いころは極貧。松本は、底抜けに明るく、生活の知恵で日々を笑顔で乗りきっていた母の秋子さんの意見を尊重。中居は、自身を野球少年に導いた正志さんに、その後の人生すべての影響を受けた。松本はマザコンで、中居はファザコン。家族を大事にする本質的な部分でも、2人は似通っていたのだ。

 今月24日に放映された『ガキの使い特別版!』(日本テレビ系)で、「芸能界の親友は?」と問われた松本は、「中居くんかなぁ」と即答している。この重い答えの裏には、真の“心友”(しんゆう)になれるべくしてなれた、これだけのワケがあったのだ。

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