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【山口敏太郎が語る“オカルトスポット”】朝鮮出兵にまつわる悲劇、敵兵の耳をうずたかく盛った耳塚

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画像はイメージです

 京都市東山区の豊国神社門前にある「耳塚」は、豊臣秀吉が朝鮮出兵した文禄・慶長の役(1592〜1598年)の際に作られたもので、打ち取った朝鮮・明国人の耳や鼻をそぎ、持ち帰ったものを埋めた塚と言われている。

 一般的には「耳塚」の名称で知られているが「鼻塚」と呼ばれることもある。打ち取った相手の耳や鼻をそぎ落とすという非道な行為は豊臣秀吉の命令だったとされ、一説によると10万人以上の鼻や耳が日本に持ち帰られたとも言われている。

 当時の日本は、敵の将校などの首を持ち帰って検分することが多かったが、首を持って帰ると、荷物がかさばる上に腐臭がひどくなる。また、身分の低い軽卒の武士の場合は、首ではなく鼻や耳をそぐことで、打ち取った人数を数えることが多かったとされる。朝鮮から日本までは距離がある。腐敗を防ぐために、打ち取った耳や鼻は塩漬けや酒漬けにされたという。

 この耳塚は以前から、夜中になると不気味な声が聞こえるとの噂があった場所であり、霊感の強い人は近づくだけで霊の存在を感じると言われている。

 霊能力の中でも、特に「霊聴」という霊の声を聴く能力に長けている人物は、日本語ではない外国語の呪いの言葉を耳にすることがあるという。

 筆者が取材で訪問した時は、ごく普通の塚であり、特に不気味な印象は持たなかったのだが、逆に耳ではなく違うモノが埋まっているのでは、と直感した。

 蒙古が来襲した際の恐怖の記憶が、「モ・ウ・コ」という音から「ゴンゴ」「ガオー」という妖怪の総称を生んだように、戦争の記憶や史跡からは怪談や怪奇伝説がよく生まれる。人間のエゴで生まれた戦争や合戦を”妖怪化””怪談化”するのは、歴史の生々しい部分を排除する目的があるのかもしれない。

(山口敏太郎)

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