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同僚議員との不倫、出産…初の女性国会議員は今以上にスキャンダラスだった?

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 日本は世界のほかの国に比べて女性議員が少ないと言われる。世界各国の議会で女性議員が占める割合が約3割なのに対し、日本は1割程度に留まっている。先進国の中でも飛び抜けて低い水準だ。

 日本で女性参政権導入の議論は戦前からあったが、実際に実現したのは戦後になってからである。1946年に行われた衆議院議員選挙で39名の女性議員が誕生した。

 そのうちの一人、園田天光光は「てんこうこう」というユニークな名前を始め、あらゆる意味で注目を集めた。当初は日本社会党に入るも、予算案に反対して除名処分を受けるなど行動派の人物だった。

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 さらに、代議士であった園田直と熱愛関係に陥る。当時の所属政党は直が民主党、天光光が労農党であり、「党派を越えた熱愛」と話題となった。直は妻子ある身であったため、不倫スキャンダルと言える。当初は事実関係を否定するも、やがて彼女の妊娠が発覚。駆け落ち同然に結婚し、松谷から園田姓となる。不倫スキャンダルも、妊娠と出産も天光光が女性国会議員として初の経験者となった。

 直の前妻は、義父の看病を続けながら夫が戻る日を待ち続け、世間の同情を集め、天光光に非難が殺到した。さらに、一連のスキャンダルは「白亜の恋」と呼ばれ、彼女をモデルとする小説「栄誉夫人」が平林たい子によって書かれた。これに対し、天光光が作者や出版社を名誉毀損で告訴するなど、泥沼の争いを繰り広げる。政治家のスキャンダルを巡るマスコミとの訴訟沙汰は、当時から存在していたと言えるだろう。また、この騒動が影響したのか彼女は、その後の選挙でも落選が続き、夫のサポート役に回ることになった。

 そして、1984年に夫が死去すると、夫と前妻の長男・博之と天光光の間で後継者を巡り、骨肉の争いを繰り広げたことも話題となった。

 天光光は国会以外の場でも活躍した。数多くの文化団体の役職を務めたほか、今ではおなじみのプレーンヨーグルトを日本に広めた立役者の一人と言われている。さらに、歌集を出版するなどマルチな活躍を見せた彼女は、2015年に96歳で亡くなっている。

(文中敬称略)

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