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佐藤江梨子、海老蔵と破局で“泣きっ面”投稿 屈辱的な別れの理由とは【芸能界、別れた二人の真相】

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佐藤江梨子

 フリーアナウンサーの小林麻耶が21日、自身のブログを更新し、「國光真耶」への芸名の変更を発表。24日のニュースサイト『NEWSポストセブン』は、小林の改名について「実家である小林家との“決別宣言”」とも報じている。小林は、義弟で歌舞伎役者・市川海老蔵への批判を始めて以降、実家とは絶縁状態であるとみられる。

 これまで、海老蔵への批判を自身のブログで繰り広げてきた小林だが、その恨みは相当なもの。今年3月のブログでは、小林の妹で海老蔵の妻・小林麻央さんが亡くなってすぐに海老蔵が“夜這い”をかけてきたという信じ難い被害を訴えた。かつて“プレイボーイ”の名をはせた海老蔵は女性とのうわさが数知れず、中には海老蔵との破局に傷つきブログで悲痛な胸の内を匂わせた元カノもいる。

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 2006年12月、当時24歳の女優・佐藤江梨子が都内で開催されたホラー映画初主演作『口裂け女』の完成披露試写会に出席。報道陣を前にした佐藤は、同年10月発売の『女性セブン』(小学館)で熱愛をすっぱ抜かれた当時29歳の海老蔵との交際を公式の場で初めて認めた。佐藤は、「お互い今日をもって堂々としようと思ってるので(マスコミは)追わないでください」と笑顔でくぎを刺した。

 「海老蔵は2005年に女優・米倉涼子との破局が報じられ、次なるお相手が誰なのか注目を集めていました。グラビアアイドルとして一世を風靡した佐藤は当時、女優以外にもタレントとして幅広く活躍。しかし、佐藤の浮かれた行動に世間からの不評の声も少なくはなく、両親公認ともいわれた交際の一方、海老蔵の父で故・市川團十郎さんは『(佐藤とは)会ったことも(海老蔵に)紹介されたこともない』との一点張りで、違和感がありました」(芸能ライター)

 2007年3月、交際宣言からわずか3カ月という短さで『FRIDAY』(講談社)が2人の破局を報じた。記事によると、破局は同年2月とし、多忙ですれ違いを繰り返していた2人について「“別れよう”という意味合いのメールが海老蔵から一方的に送られてきた」と映画関係者の証言を引用して真相を伝えている。

 実は佐藤、破局報道前の同月、すでに自身のブログで「強がり卒業式」と題し、“傷ついた日”との書き出しで、海老蔵との破局を示唆するかのような心境をつづり、笑顔を見せながらも泣きはらしたと分かる自身の顔写真をアップしていたのだ。同誌はこの経緯にも触れ、佐藤が海老蔵に「捨てられたことをほのめかした」と断言した。

 同誌の発売翌日、佐藤は自身のブログに「2月に入って、友達が亡くなり、両親が遠くへ引越し、彼と別れ、長野と東京の行き来の生活の中で、私は毎日毎日泣きました」と記し、海老蔵との破局を認めた。

 2010年3月に海老蔵は、麻耶の妹で2017年に亡くなった小林麻耶さんと結婚。佐藤も2014年2月に現在の夫との交際を同誌に報じられた。この報道の数日前、海老蔵が自身のブログに外国人男性の写真をアップして「なんと僕の元カノと付き合ってる」と明かしていたが、報道により「元カノ」が佐藤だと判明した。

 2015年2月、佐藤はこの外国人男性との結婚と妊娠を発表。すると、一部のニュースサイトでは海老蔵との破局を蒸し返し、「市川家の十八番である“にらみ”の継承は必然」としたうえで「そのためには大きな目をした妻をめとり、大きな目の男の子を生まなければならない」と指摘。だが、佐藤には「その素養がなかったと判断された」と梨園の妻になれなかった理由を報じた。

 真相は不明だが、事実だとすれば佐藤にとって屈辱的な破局理由だろう。とはいえ、今年4月放送の『有吉ゼミ』(日本テレビ系)にゲスト出演した佐藤に、40歳とは思えぬ美貌が話題となり視聴者から絶賛の声を集めた。今でも健在する優美な姿態こそ、グラビア界の頂点に立った証ではないだろうか。

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