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デヴィ夫人、結婚を望んだ既婚の大物俳優とは「本気で好きになった、ただ1人の日本人男性」【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】

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デヴィ夫人

 タレントのデヴィ夫人(以下:夫人)が28日、自身のブログを更新。24日に生出演した『胸いっぱいサミット!』(フジテレビ系)での「不妊の原因は堕胎」発言について、「全くの誤りで、不妊に悩まれている方々をはじめ多くの方々を深く傷つけ、不妊や中絶に関する偏見を助長しかねない大変いき過ぎたもの」と謝罪した。また、同局も同日、番組ホームページ上におわびを掲載している。

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 夫人というと、貧しい家計を維持するために高校を中退し、東京・赤坂の有名高級クラブでホステスとして働いた。美人で秀才との評判が立ち、インドネシア・スカルノ元大統領(以下:元大統領)に見初められ、1962年に19歳の若さで第3夫人として結婚。海外の社交界での経験をもとに幅広い人脈を構築した正真正銘のセレブである。また、歯に衣着せぬ物言いながらも後期高齢者とは思えぬ体当たりのキャラクターで人気を博し、芸能界の“ご意見番”として欠かせない存在となった。

 貧困生活から一転、富と地位を手にした夫人を例えるなら“シンデレラ”だろう。そのうえ、“東洋の真珠”と称えられた夫人だけに、これまでも幾多の恋愛を重ねてきた。だが、元大統領夫人時代の不倫騒動は多くの批判を浴びた。

 1969年6月、故・津川雅彦さんとの不倫が多数の週刊誌により“世紀の恋”“許されざる不倫の愛”と大々的に報じられ、結婚説までもが浮上。この騒ぎで双方は別々に記者会見を開いている。
 「1965年に起きた政変のため、大統領が失脚。身重の夫人は、『安全な日本で、私たちの子を産んでほしい』という大統領の勧めで日本に帰国したのです。大統領が辞任した67年3月、夫人は長女を出産。それから2年が経った頃、元大統領の女性問題を日本の週刊誌が取り上げ、ひどく落ち込む夫人を激励しようと69年5月に東京・六本木でパーティーが開催された。そして、夫人は出席していた津川さんと出会い、惹かれ合った2人はすぐに親密な関係になったといいます」(芸能ライター)

 しかし、元大統領夫人と人気俳優の恋は断じて許容できないものだった。
 だが、先に会見を開いた津川さんは「ほれ合っているのは事実ですが、まだプロポーズもしていない」と夫人との不貞を潔く認めた。さらに、夫人との結婚については「彼女(夫人)はぴったりの人」と夫人への愛を熱烈に語ったのだ。
 
 一方、翌日に会見した夫人は「夫ある身で、ほかの男性を愛していることは世間で許されない」と正論を述べていた。そして、病気がちで衰えた元大統領との離婚をためらい悩んだ末、津川さんへの思いを断ち切り、長女を連れてヨーロッパへと旅立った。

 ところが同年8月、津川さんは同地まで夫人を追い、2人はスイスで再会を果たしたようだ。だが、夫人との格差が身に染み、身を引いたという。

 1973年、津川さんは夫人と深い親交のあった故・朝丘雪路さんと結婚。芸能界きっての“プレイボーイ”といわれた津川さんだが、朝丘さんとの夫婦生活は“おしどり夫婦”と呼ばれ、理想の夫婦像を築き上げた。

 夫人は2018年8月発売の『女性自身』(光文社)で、津川さんとの交際を「2人が出会ってから旅立つまでの1カ月は、私と津川さんにとって文字通り“蜜月”だった」と告白。さらに、「彼(津川さん)は結婚も望んでくれた」と語り、「私が本気で好きになった、ただ1人の日本人男性だった」と、同年同月に死去した津川さんへの思いを赤裸々に打ち明けた。

 華麗な経歴とは裏腹に、これまで数々の試練を乗り越えてきた夫人も御年、80歳。今回の騒動をどう乗り切るだろうか。

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