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野村克也さん、野球人生の命運を左右した人がいた? 『徹子の部屋』に登場、幼少期の秘話を明かす

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野村克也さん(写真は楽天監督時代)

 虚血性心不全のため、11日に84歳でこの世を去った元プロ野球選手・監督の野村克也さん。その野村さんが12日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で自身の兄について言及した。

 先月20日に収録され来月以降に放送される予定が、急逝を受け12日に緊急放送された野村さんの出演回。自身の息子である野村克則氏(楽天一軍作戦コーチ)と共に番組に出演した野村さんは、2017年12月8日に虚血性心不全で亡くなった沙知代夫人との思い出について主に語っていたが、番組終盤に3歳年上の兄についてのトークも展開した。

 京都・京丹後市に生まれた野村さんは、3歳の頃に自身の父親が戦死。そのため、幼少期の家庭は「半端じゃない貧困家庭」だったといい、野球の道具も満足に買いそろえられなかったという。

 こうした家庭環境もあり、母親からは「野球ばっかりして遊んでないで、家のことをしてくれないと困る」と野球を反対されていたという野村さん。しかし、そんな中でも「朝に兄貴と一緒に畑仕事に出ると、『(学校で)野球の練習してるんだろ?』って(言われた)。『やってるよ』って言うと『行ってこい行ってこい、(畑仕事は)俺がやっといてやるから』って(言ってくれた)」と、兄は自身を手助けしてくれたという。

 また、野村さんは「本人は大学に行きたかったけど、僕のために犠牲になって就職したから行けなかった。本当は(僕は)高校には行けなかった(はずな)んですけど、兄貴が『男の子だから高校ぐらい行っておかないと将来苦労する』って言って高校に行かせてくれたんです。(その後)私が高校出てから(兄は)大学に行きました」と、兄が大学進学という目標を一旦諦めてまで自身のサポートに徹してくれたことも明かした。

 今回の放送を受け、視聴者からは「お兄さんがいなければ、野村克也というプロ野球選手は誕生してなかったかもしれないのか」、「弟のために自分を犠牲にするのはすごい、自分が兄の立場なら絶対無理」、「こういった苦労を乗り越えてきたから、ノムさんは球界で成功を収めることができたんだろうな」といった反応が多数寄せられている。

 現役時代は南海(1954-1977/1970-1977は選手兼任監督)、ロッテ(1978)、西武(1979-1980)の3球団で捕手としてプレーし、引退後はヤクルト(1990-1998)、阪神(1999-2001)、楽天(2006-2009)で監督を歴任した野村さん。選手・監督として球界に大きな足跡を残したが、それも兄の存在があってこそだったのかもしれない。

 なお、野村さんの訃報を伝える報道の中では、「母親を支えるために2人で頑張ってきた。弟が成功してくれたおかげで楽になったので、いい弟だったと思う。『安らかに眠ってください』と言いたい」という兄のコメントも伝えられている。

文 / 柴田雅人

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