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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「アンドレ・ザ・ジャイアント」“演出家”としても優れていた大巨人

 亡くなってから四半世紀がすぎた今もなお、多くのファンが“プロレス史上唯一無二の存在”と認めるアンドレ・ザ・ジャイアント。
 この4月には、米ケーブルテレビ局によって新たなドキュメンタリー番組が制作されて話題となった。
 「これまであまり表に出てこなかったアンドレの兄弟らの証言まで集め、この番組で初めて明かされた話もいくつかありました。15歳くらいから突然に巨大化が始まったこともそうですし、アンドレ自身が先端巨大症(いわゆる巨人症)の治療を拒んでいて、その症状に伴う痛みを抑えるために暴飲していたというのも新事実といえるでしょう」(スポーツ紙記者)

 アンドレの現役時代には、すでに手術や投薬による巨人症の治療は行われていたが、本人はそのことによって、セールスポイントである怪物性が薄れることを望まなかったという。
 巨人症患者の平均寿命は一般と比べて10年以上も短いといわれ、そのことはアンドレも承知していたに違いないが、これと引き換えにしてでも、リング上のスターであり続けることを自らの意思で選んだのだ。

 だが、病状を放置することによる弊害は大きかった。成長ホルモンの過剰な分泌によって、体の先端部分が発達し続けるという外見上の特徴にとどまらず、一般には骨がモロくなり、発症部分に激しい痛みが生ずるといわれる。アンドレもその例外ではなかった。
 常に四肢の痛みに苛まれ、それを紛らわせるため大量の酒を飲み続けた。
 「ワインを一度に5ガロン(19リットル)飲んだ」「旅客機に積まれていたビールを飲み尽くした」などの怪物伝説の裏には、そうせざるを得ないだけのつらい事情があったのだ。

 生前にはインタビューで、「(巨人としての肉体は)神様が俺の生計を支えるためにくださった」と答えていたアンドレだが、しかし、その肉体の特殊性に頼るだけでは決してトップスターにはなれなかっただろう。
 「事実、これまでにも身長や体重でアンドレを上回るレスラーはいましたが、彼らはアンドレの半分の人気もなかったですから」(同)

 では、その人気の秘訣はどこにあったのか。アンドレの現役当時を知る関係者たちの証言は、大きく二つに分かれる。
 一つは「とにかくプライドが高かった」というもので、もう一つは「対戦相手への配慮が行き届いていた」というものだ。一見、矛盾しているようだが、実はそうでもない。

 どこのテリトリーでも観客を一番多く集められるアンドレが、高いプライドを持つのは当然のことだが、加えてこれはキャラクターを安売りして、早々に飽きられるのを避けるための“演出”としての一面もあった。
 実際、アメリカでデビューした当初は「一度見たら満足」という観客が多く、そのため後に契約したWWF(現WWE)でも専属とはせず、世界各地を巡業させたという経緯がある。
 もし、そのときに各地のプロモーターの要求を聞くだけだったら、ご当地ヒーローの当て馬にされた揚げ句、他の超巨漢選手たちと同様の単なる“色ものレスラー”として使い捨てにされていたかもしれない。そうならないためには、簡単に言うことを聞かない気難しさを装う必要があった。

 さらに、単なる怪物で終わらないためには、常に観客をヒートアップさせるだけの好試合を見せねばならず、そこには相手レスラーの協力が欠かせない。だから好敵手と見込んだ選手には、相応の気遣いを見せることになる。
 つまり、プライドと配慮のいずれもが、アンドレにとってはレスリングビジネスを長く続ける上で不可欠なものであったのだ。
 新日本プロレスで外国人の世話係をしていたミスター高橋は、著書の中で〈プライドの高いアンドレがジャイアント・マシーンのマスクをかぶったことが意外だった〉との旨を記している。しかし、アンドレにしてみれば、観客に飽きられずにリング上を活性化する手段として、新たなキャラクター付けは願ってもないことだったのかもしれない。

 日本でのベストマッチとされるスタン・ハンセンとの一騎打ち(1981年9月23日、田園コロシアム)においても、同様のことがいえる。
 「ハンセン反則勝ちのアングルは、アンドレからの提案だったそうです。世界的な格付けはアンドレがはるかに上ながら、日本でのハンセン人気の高まりを受けて、双方の株が上がるような試合をアンドレが主導したわけです」(プロレスライター)
 その結果、いまだに“日本プロレス史上トップクラスの外国人対決”として語り継がれている。この事実を見ても、アンドレがいかに優秀な“演出家”であったかが分かるだろう。

アンドレ・ザ・ジャイアント
1946年5月19日〜1993年1月27日(46歳没)、フランス共和国グルノーブル出身。身長223㎝、体重236㎏。得意技/ジャイアント・プレス、ヒップドロップ。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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