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プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ローラン・ボック」幻想が作り上げた“欧州最強の男”

 プロレスはこれを報じるメディアとの共同作業で成り立っている側面がある。単に「勝った、負けた」というだけなら、他の格闘競技と変わらない。「だったら権威のあるボクシングや柔道の方がいい」ということにもなるだろう。

 だからといって誰にも分かりやすい演出に偏れば、闘いの部分が薄れてしまう。そんなジレンマを解消しつつ、ファンとの橋渡しをするのがプロレスマスコミの役割というわけだ。

 盛りまくった経歴でその選手がいかに強豪であるかを伝え、聞き取れないマイクパフォーマンスを超訳して因縁ストーリーを紡ぎ出す。予期せぬトラブルが起きたときには何か別の理由を持ち出してきて、選手や団体の尻ぬぐいもする。

 そうしたプロレスマスコミの働きが見事にハマったものの一つが、1978年11月に開催されたアントニオ猪木の欧州遠征シリーズであった。

 '76年のモハメド・アリとの世紀の一戦により、全世界の興行関係者に名前を知られることとなった猪木。そのネームバリューでひと儲けしようという各国プロモーターたちから、ひっきりなしに参戦を要請する声が届いたという。

 そんな中の1人がローラン・ボックであった。

 14歳からレスリングを始めたボックは、'68年のメキシコシティオリンピックにレスリング・グレコローマンスタイルの西ドイツ代表として出場。その後、プロレスラーに転向すると、'74年にはジョージ・ゴーディエンコと、プロレスの“暗黙の了解”を破るシュートマッチを繰り広げている。

「ゴーディエンコはウクライナ系のカナダ人。共産主義者の集会に参加したことで“赤狩り”の対象とされ、アメリカマットで表舞台に立つことはなかったが、陰の実力者として一目おかれる存在でした。ボック戦はプロモーターがその実力を試すために、ゴーディエンコをけしかけたものといわれています」(プロレスライター)

 結果はボックの敗退となったが、一方のゴーディエンコもボックの攻めにより足首を骨折している。その後もボックは西ドイツを中心に活動。'78年には国際プロレスへの来日経験もあるダニー・リンチ戦で、相手のラフ攻撃に業を煮やし、その脚をへし折って引退に追い込んでいる。

 この頃からプロモーター業も手掛け、猪木を招聘したツアーでは選手兼プロモーターとして自ら猪木と対戦した。

 「当時の猪木が、この西ドイツやパキスタン(アクラム・ペールワン戦)などマイナーな土地へ遠征したのは、アリ戦での負債があってのこと。きっと先方から破格の提示があったのでしょう」(同)

 ボック主催のヨーロッパ遠征が23日間で20戦(別にエキシビションマッチ1試合)、6カ国を渡り歩くというハードスケジュールになったのも、猪木への高額ファイトマネーを回収するためだと推察される。

 試合はすべてシングルマッチ。猪木にとってその多くが慣れないラウンド制で、さらにリングも硬いマットで受け身が取りづらい。対戦相手もウィリアム・ルスカやオットー・ワンツ以外は初手合いで、その中にはアマレスの強豪やボクサーとの異種格闘技戦も含まれていた。

★猪木の黒歴史をマスコミが粉飾

 ローマ五輪金メダリスト、ウィルフレッド・ディートリッヒは特に厳しい相手だったようで、この対戦で投げられまくって猪木の体がボロボロになったと、のちに新間寿氏が証言している(結果は猪木の1勝1分)。

 こうした悪条件のもとで、猪木はボックとの“欧州世界選手権決勝戦”を迎えた。地元のボックに花を持たせなければならないという不慣れなミッションを課せられたことも災いしたか、猪木はまったく精彩を欠き、ボックの一方的なペースのまま10R判定で敗れることとなった。

 「金目当てで出かけて、しょっぱい試合をしただけ」とも揶揄されるこの欧州ツアーは、猪木の黒歴史ともなりかねなかったが、プロレスマスコミはこれを見事にカバーしてみせた。

 いわく〈ボックは猪木潰しのために欧州の強豪を集結させた〉〈ハードスケジュールは猪木を消耗させるための謀略〉〈ボックにハメられた敗戦は“シュツットガルトの惨劇”だ〉という当時の報道である。

 実はこのボック戦の後もツアーは続き、猪木も普通に参戦しているわけで、日本で伝えられるような策謀などなかったことは明白なのだが、猪木の汚点としないために、プロレスマスコミはさまざまな理由を並べ立てたのだった。

 その結果、プロレス慣れしていない不器用なシューターであったボックを“謎めいた強豪ライバル”にまで仕立て上げたのだから、まさに一石二鳥であったと言えようか。

ローラン・ボック
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PROFILE●1944年8月3日生まれ、旧西ドイツ・バーデン=ヴェルテンベルク州出身。
身長194㎝、体重120㎏。得意技/ダブルアーム・スープレックス、ボディスラム。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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