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大特集 第100回全国高校野球大会 甲子園に棲む魔物(3)

 76回大会('94年)の決勝、佐賀商対樟南(鹿児島)戦でも、守備の名手が泣かされている。
 9回裏、二死満塁。佐賀商の主将・西原正勝の放った打球は左中間に舞い上がり、一瞬の静寂を置いてから球場は大歓声に包まれた。史上初、決勝戦でのサヨナラ満塁アーチである。
 「ボールが投手の手から離れてから、少しずつスローモーションになっていった」
 勝者・西原のコメントである。樟南の投手・福岡慎一郎と捕手・田村恵のバッテリーはスタンドに消えた打球を見ていたが、まだ敗北の実感はなかったという。

 「福岡は大会を代表する好投手で、田村は高校生ナンバー1捕手の評価もされていました。当然、樟南が優勝候補と目されていた」
 当時を知るベテラン記者の言葉だ。
 同記者によれば、両校は大会リハーサルでニアミスをしている。樟南バッテリーを佐賀商ナインが後方から眺めていたという。同じ九州勢、「声を掛けたら?」と勧めたら、「いえ、大丈夫です」と言って、立ち去ってしまったそうだ。
 格の違い。だが、好捕手の田村は「名手ゆえのミス」を犯し、決勝戦の窮地を広げてしまった。サヨナラ弾が出る数分前、一死一、三塁の場面で佐賀商のスクイズを見破り、三塁走者を「三塁・本塁間」に挟んだ。しかし、田村の送球が鋭すぎた。走者をかすめて三塁手のグラブに収まるはずが、ヘルメットに当たってしまった。また、別の場面でも、田村の野球センスが裏目に出ている。一塁への悪送球をカバーし、二塁に送球しようとしたら、一塁コーチャーの頭部にぶつけてしまう。「追いつきっこない」と決め込んでいた佐賀商側が、ボールから目を離した一瞬のハプニングだった。

 「天才同士」の激突もあった。79回大会('97年)の大会4日目、浜田(島根)の和田毅(現ソフトバンク)と秋田商の石川雅規(現ヤクルト)が激突している。
 後にプロ野球界を牽引していく両左腕の投げ合いは、意外な結末を迎えた。
 「こんなんじゃ、全然ダメです!」
 勝利した石川は試合後にそう吐き捨てているが、魔物のイタズラとしか思えないサヨナラ劇だった。3対1、和田が9回裏のマウンドに上った。秋田商打線はようやく和田を捕まえ、連打で無死一、二塁。次打者は犠打。和田がそれを処理したが、一塁へ悪送球。しかも、それを拾った右翼手の三塁送球が逸れ、2者生還。同点である。浜田ベンチは無死三塁の場面を嫌い、2人を歩かせ、満塁にする。打席に石川が立つ。和田はまだ動揺していた。ストレートの四球、押し出しサヨナラ負けだった。

 後にプロでも活躍する好投手が泣かされた試合といえば、89回大会('07年)の決勝戦も有名だ。広島県代表・広陵の野村祐輔(現広島)と小林誠司(現巨人)のバッテリーが、魔物に取りつかれた。4点リードで迎えた8回裏、佐賀北の打線が爆発し、一死満塁。野村はこの程度でグラ付くほどヤワでなかったが、次打者に投じた渾身の一球を「ボール」とコールされた瞬間、顔がこわばった。捕手の小林もホームベースをミットで叩いて悔しがった。満塁逆転アーチを喫したのは、その直後だった。

 49回大会('67年)の決勝、報徳学園(兵庫)対大宮(埼玉)の一戦は、サヨナラホームスチールだった。勝敗がドラマチックであるほど、明暗ははっきりと分かれる。なぜ、あと一歩のところで…。魔物が降りてくる瞬間は誰にも分からない。だから、日本中が感情移入してしまうのだ。

 100回の夏にはタイブレーク制という、人為的な措置も行われることになった。新ルールに魔物はどんなドラマを補足させようとしているのだろうか。

スポーツライター◎美山和也
1967年、千葉県出身。週刊誌専属記者を経てフリーに。著書、共著に「マツイの育て方」(バジリコ出版)、「プロ野球 戦力外通告の衝撃と決断」(宝島SUGOI文庫)、「プロ野球戦力外通告」(洋泉社)など多数。

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