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織田信長の城・安土城に残されたミステリー 巨大な「蛇石」はどうやって運び入れたのか?

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画像はイメージです。

 戦国の風雲児・織田信長の先進性や改革精神は、近代人に近い。オカルティストの中には、信長は未来人が過去に転生した魂であるとか、悪魔崇拝を行っていたと主張する者もいる。

 事実は信長自身、神仏を蔑ろにしていたような形跡もあり、安土城の石段には地蔵や石仏を利用した跡がある。また、城の天主は地上6階であったが、5階に仏教様式を取り入れ、その上の6階に自らが“天主”として君臨するという比叡山や一向一揆、本願寺など仏教勢力に対して挑発的なことを行っている。また、臣下の人々に、単なる石を神として拝むように強要したこともあり、信仰というものに対して価値を見出していなかった可能性も高い。

 このような信長の不可解な逸話の中でも、最も理解不能な話が「蛇石伝説」である。

 「信長公記」の記述によると、天正4年に行われた安土御普請の際に津田坊という人物が、とてつもない大きな石「蛇石」を運んだとされている。この「蛇石」は、現在のスーパーゼネコンでも、運搬が不可能ではないかというぐらいに大きい。再び「信長公記」の記載にあたってみると「一万人の人間が、夜と昼3日もかけて上げた」とされている。この運搬時には、多くの人々が犠牲になったと推測されるが、どうやって城内に運び込んだのか想像がつかない。それこそ、エイリアンのテクノロジーに頼ったのではないかと、邪推したくなる。

 現在、安土城の城内で探してみても、この蛇石にあたる巨石は見たらない。諸説あり定かではないのだが、天主の近くまで運び込み、小さく砕いて石垣に使用したとか、或いはそのまま、地中に深く埋没させたとも言われている。果たして1万人の人間が担ぎ上げた「蛇石」は、どうやってあげたのか、何処に消えたのか。未知の技術は、ファンタジックな伝説を生むものである。

文:和田大輔 取材:山口敏太郎事務所

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