search
とじる
トップ > トレンド > 新連載「パチンコの現場」名機たちは何を語るか

新連載「パチンコの現場」名機たちは何を語るか

 メーカーや販社、部品販売店など、数多くのパチンコ関連会社が軒を連ねる東京・上野。通称・パチンコ村と呼ばれるこの一角に、戦前から始まったとされるパチンコの歴史を今に伝える小さな博物館がある。

 壁一面に展示された、忘れがたき名機の数々。「小物」(メーカー不詳)と呼ばれる現存する最古のパチンコは、日本に10台ほどしか残っていないという大変貴重な1台。そしてその横には、“パチンコの神様”こと正村竹一氏考案の“正村ゲージ”を採用したパチンコがズラッと並ぶ。台枠や盤面こそ古めかしいが、そのゲージ構成は芸術品と呼ぶにふさわしく、思わずため息が漏れる。
 現代パチンコの祖たる正村ゲージを拝めただけでも足を運んだかいがあるというものだが、ここに展示されているのはこれだけにとどまらない。歴史を彩った名機はほぼすべて網羅されていると言っても過言ではなく、爆裂権利モノ「ソルジャー」や伝説の爆裂機「花満開」など枚挙にいとまがない。しかもどの台も非常に状態が良く、「今でも電源を入れれば動きますよ」とは、パチンコ博物館の牧野哲也館長。
 実はこれら膨大なパチンコ台は牧野館長の個人的なコレクションであり、趣味が高じてパチンコ博物館の開館に至ったのだという。「小学生のころにゲームコーナーで打ったのが始まりでした。わけも分からず終わってしまい、落ち込みましたね。才能ないのかなあと。でもその時、別の子が僕よりうまく打つのを見て、そこでがぜん興味がわいてきました。それからは暇さえあればパチンコに没頭ですよ。駄菓子屋の店頭とかでね」
 そしてある時、雑誌で中古台の広告を見つけ、手に入れた。これが最初のコレクション。当時、小学5年生だったというから驚きだ。その後もコレクションは徐々に増えていく。大学進学のころには20台程度にまで増え、さすがに幾らか手放そうかとも考えたそうだ。しかし「もし手放したとして、どこかでまた見ることは可能なのか? ふと疑問に思い調べてみたんですが、資料館や博物館の類が存在しないことに」。

 これがきっかけとなって牧野館長はパチンコ台の収集を加速させる。昭和62年ごろの事だ。「パチンコはこれだけ国民に定着した遊び・文化であるのに、何も語るものがないというのはおかしいし、寂しいですから」。仮に牧野館長があの時台を手放していたら、こうしてパチンコの歴史を後世に伝える建造物等は今でも存在しなかったのではないだろうか。
 なお、パチンコ博物館には常時148機種の名機が展示されている。ちなみに館長は現在、1200種以上の台を所有しているが、まだ入手できていない台もあるのだという。「平和の『メテオ』は個人的な思い入れが強いので、もう一度だけ、10分でいいから触ってみたいですね」。そう語る牧野館長の目は、まるで子供のように輝いていた。
 「今は玉を打ち出すだけの作業。でも昔は違った。羽根が開放される数秒間に賭ける。私はこれがパチンコ本来の楽しみ方だと思います」。ただ漫然とハンドルを握り大当たりを待つ。これはパチンコ本来の姿ではない。そしてパチンコの本質とは大衆娯楽である。出玉感のみを追求したパチンコは、もはやパチンコとは呼べないのではないか? 館長のもとで大切に保管されてきた名機たちが、そんな風に語りかけてきた気がした。

◎展示リスト紹介(一部抜粋)
・正村ゲージ オール15(武内製作所)
・ターボR(西陣)
・ゼロタイガー(平和)
・ブラボーキングダム(平和)
・ジャスティ(西陣)
・ダイナマイト(大一)
など多数
※展示品は定期的に入れ替えが行われます。

◎正村ゲージとは
 正村ゲージ登場以前のパチンコ台は“バラ釘”と呼ばれ、盤面にクギを均一に打ち込んだだけの単調な仕様であった。一方、正村ゲージではクギの打ち方を工夫し、さらには初めて風車も設置。このことにより、単調だった玉の動きに遊びが生まれゲーム性が飛躍的に向上。また、打ち手が技術力を求められるようになった点も大きな変革の1つと言えよう。正村ゲージの登場以降、パチンコは大衆娯楽の王様として急速に遊戯人口を拡大していくことになる。

パチンコ博物館
〒110-0015 東京都台東区台東上野3-13-2
上野駅より徒歩5分
開館時間 10時から17時まで(入館は16時30分まで)
休館日 毎週火曜日及び年末年始
HP http://homepage2.nifty.com/ueno-p-museum/

関連記事

関連画像

もっと見る


トレンド→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

トレンド→

もっと見る→

注目タグ