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急死した大横綱・大鵬さんを超える力士は出るか?

 “昭和の大横綱”大鵬の納谷幸喜(なや・こうき)氏が、1月19日午後3時15分、心室頻拍のため、東京都新宿区の慶応病院で死去した。72歳だった。

 大鵬さんは18日に体調が急変。東京都江東区の自宅で呼吸困難に陥り、慶応病院に入院した。一時は持ち直したものの、その後、容態が悪化し息を引き取った。

 まさに不世出の大横綱だった。大鵬さんは40年5月29日、ウクライナ人の父と日本人の母との間に樺太(現サハリン)で生まれた。45年に第2次世界大戦が終わると、5歳の時に母と北海道に引き揚げたため一家は離散。

 11歳の時から川上郡弟子屈町で過ごし、林野庁関係の仕事をしながら、弟子屈高校定時制に通っていたが、同校一年の時にスカウトされ、56年に二所ノ関部屋に入門。同年9月の秋場所で初土俵を踏んだ。58年5月の夏場所で新十両、60年1月の初場所で新入幕、同年7月の名古屋場所で新三役とトントン拍子で出世。

 同年11月の九州場所で史上最年少(20歳5カ月=現在の記録は貴花田の19歳5か月)で初優勝を果たすと、翌61年1月の初場所では、史上最年少(20歳6カ月=現在の記録は貴ノ花の20歳5カ月)で大関昇進。同年11月の九州場所では、ライバル柏戸とともに、史上最年少(21歳3カ月=現在の記録は北の湖の21歳2カ月)で横綱に昇進した。

 ライバル柏戸とともに、“柏鵬時代”を築き、71年5月の夏場所途中で引退するまで、実に史上最多32回の優勝を積み重ねた。

 大鵬さんが残した偉大な記録は優勝回数だけではない。全勝優勝8回(双葉山、白鵬と並び史上最多)、連続優勝6場所(現在の記録は朝青龍、白鵬の7場所)が2回、45連勝(歴代4位)と枚挙にいとまがない。通算成績は872勝(歴代5位)182敗136休(勝率.827)、幕内成績は746勝(歴代4位)144敗136休(勝率.838)と驚異的な勝率を誇る。

 引退後は史上初の一代年寄として、大鵬部屋を創設し後進の指導に当たり、元関脇・巨砲ら14人の関取を育てた。05年に5月に定年退職し、相撲博物館の館長を務めたが、08年11月に体調問題で退任した。

 その一方で、77年、36歳の時に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残るなど、体調面で不安を隠せず、理事まで務めたが、理事長職には就けなかった。

 退職後、部屋は三女・美絵子さんの婿(後に離婚、養子縁組を解消)である元関脇・貴闘力(鎌苅忠茂氏)が大嶽部屋として後継したが、大嶽親方が野球賭博に関与したとして、10年7月に日本相撲協会から解雇され、同部屋は現大嶽親方(元十両・大竜)が引き継いだ。

 大鵬さんが引退してから、約42年が経過しようとしているが、32回の史上最多優勝は誰も抜くことができなかった。元横綱・千代の富士(現・九重親方)が31回まで迫ったが、並ぶことはできず。これには朝青龍(25回)、北の湖(24回)が続いているが、この記録を超える力士はもう出ないのだろうか。

 唯一、可能性を秘めているのが、優勝回数23回で歴代5位の白鵬(27=宮城野)だ。大鵬さんの記録まで、あと9回。朝青龍が10年1月の初場所後に引退後、一人横綱として、7場所連続優勝を飾るなど、優勝回数を稼いだ。しかし、昨年は日馬富士というライバルが出現し、わすか2度の優勝に終わった。

 今後、仮に年3回ずつ優勝し続けたとしても3年を要し、年齢は30歳となる。大鵬さんは30歳で引退しており、白鵬が優勝回数32回を抜けるかどうかは微妙なところ。今後、大鵬さんに匹敵する大横綱が出るかどうかは疑問で、白鵬が超えることができなければ、この記録は永遠に伝説となる可能性も高い。

 なお、大鵬さんの通夜は30日午後6時から、葬儀・告別式は31日午前10時から、東京・青山葬儀所で執り行われる。喪主は芳子夫人。
(落合一郎)

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