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東北の抵抗勢力を封印する呪いの術「悪路王の首」

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 悪路王とは、かつて大和朝廷に逆らった東北地方の抵抗勢力のボスである。伝説上では悪路王と呼ばれることが多いが、歴史上では「アテルイ」と呼ばれることもある。権力者である大和朝廷側から見ると彼は「鬼神」であり、反逆する妖怪でしかなかったのだが、東北地方の庶民から見れば地元のヒーローだったようだ。

 最近では歴史上でも再評価されつつあるが、長らく蔑視されてきた存在だ。朝廷軍を率いた田村麻呂は、何度か合戦で戦ううちにアテルイが「殺すには惜しい好人物だ」と見抜き、朝廷に降参するように説得したという。

 田村麻呂の熱意に打たれたアテルイは京都に参上するが、首をはねられてしまった。このエピソードから、妖怪や鬼側が正直に軍門に下ったりしても「朝廷側が惨殺してしまう」「だまし討ちしてしまう」というストーリーが形成されていった可能性が高い。

 この悲劇に落涙した田村麻呂は、アテルイが死んだ場所に寺を建てた。それが現在の清水寺である。以来、アテルイの首は朝廷を護るために呪術の道具にされてきた。この悪路王の首は現在、鹿島神宮の宝物殿に収められている。

 この鹿島神宮にまつられているのは武芸・戦の神で、常に大和朝廷と抵抗勢力のつばぜり合いの最前線にあった。境界に設置することで抵抗勢力の大和への侵入を霊的に防いだのだ。鹿島神宮に悪路王の首を奉納することは、東北への巨大な呪いになっていた。

 もちろん、宝物殿で見ることができる悪路王の首は、木彫りの首。だが、この首そのものを茨城・鹿島神宮という帝都の「鬼門」に奉ることで強力なパワーを持った。

 ちなみに大手町に封印された平将門の首塚伝説は、悪路王の首塚伝説の焼き直しにすぎない。将門は関東独立を図った稀代の英雄であることは歴史的に事実であるが、東日本の抵抗勢力は首を取られることで、鬼門結界に組み込まれたのだ。言い換えれば、「大手町にある首塚に封印された将門の首」と「鹿島神宮に奉納された悪路王の首」の2つの強大な首が帝都、および関東の鬼門を守っているのだ。

 荒俣宏氏の「帝都物語」により、将門の怨霊は一般にも有名になった。それまでは、怨霊と言えば菅原道真であり、崇徳上皇であった。この本来秘すべき怨霊・将門が再認識されたことで、霊的な帝都防衛の仕組みが明らかになりつつある。

 現在、都内に残されている将門ゆかりの神社の7カ所を結ぶと北斗七星になるが、これは帝都に関東の土地神(将門の怨霊)を封印するための仕組みである。つまり、西日本の朝廷に逆らわないように東日本の土地神を”神様殺し”に追い込んだのだ。

 また、将門の一族が信仰していた妙見信仰(北斗七星を信仰する習慣)に由来するとも考えられるが、どちらにしろ地霊や地龍を深く閉じ込めた感はいなめない。

 さらに、大手町にある将門の首塚と、茨城にある将門の胴塚をつなぐラインは鬼門となっている。南西の裏鬼門には源頼朝の墓と義経の首塚があり、北には徳川家康が眠る日光東照宮があるのだ。この強固な霊的防衛網は、家康のブレーンであった天海が施工したものであり、徳川幕府が300年続いた秘密でもある。明治維新後、狡猾な明治政府はこの結界をそのまま使用し、現在につなげている。

(山口敏太郎)

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