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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元バレーボール選手・三屋裕子さん

 女子バレーボールの日本代表選手から一般企業の社長に三屋裕子が就任したことは世間に大きな話題を提供した。

 04年4月、現役を引退してタレント活動をしていた三屋は、女性下着の訪問通信販売会社シャルレ(現テン・アローズ)の社会貢献活動にも参加していたことがきっかけで、同社の顧問になった。そして同年6月29日付けで社長に就任した。
 しかし、三屋のネームバリューだけで会社の業績は向上せず、しかも経営方針の違いから創業家と対立。07年6月27日、テン・アローズと子会社シャルレの両株主総会で、三屋は両社の社長職を解任された。
 この時、三屋は「80年のモスクワ五輪をボイコットで出場できなかった時と同じな心境」と、涙ながらに語った。

 三屋は58年7月29日生まれの福井県勝山市出身。中学かバレーボールを始め、東京・八王子実践女子高で本格的なバレーボール選手として全国的に有名になった。さらに筑波大学に進学した。
 最高到達点308センチというジャンプ力を誇り、攻撃型のセンタープレイヤーとして「サイ」(三ツ矢サイダーのサイから取ったニックネーム)はまさに敵なしだった。
 大学卒業後の81年、日立製作所に入社。同女子バレーボール部に所属、全日本代表の主軸として活躍。83年のアジア選手権で優勝した。続く84年のロサンゼルス五輪では銅メダルを獲得した。そして「世界のサイ」は各国がマークするまでのトップのセンタープレイヤーになっていた。
 現役引退後は国学院高校の教師、そして学習院大学助手を経て、87年に同大学の講師に就任するとともに女子バレーボール部の指導をした。また全日本ジュニアチームのコーチも務めた。90年、筑波スポーツ科学研究所の主任研究員で非常勤講師に就任した。このような経歴を引き下げてのシャルレ入社だった。

 現在は、Jリーグや日本バレーボール協会理事を務め、筑波スポーツ科学研究所の副所長である。

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