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人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第12回

 田中角栄が宿願を果たし国会へ登場したころの政党は離合集散を繰り返し、まさに政治も戦後の混乱を象徴していた。
 田中もまた当選時の日本進歩党から民主党、さらに同志クラブ、民主クラブと渡り歩いた。その民主クラブと、第1次内閣を組織していた吉田茂総裁の自由党が合同、田中はこの民主自由党に所属したことで吉田のメガネにかない「吉田学校」の一員となったことで、以後、政界の階段を上っていくキッカケとなっている。

 「吉田学校」とは、政権担当実に7年8カ月、都合5次の内閣を組織した吉田の下に集まった人材のグループを指す。保守政治の「本流」としてこの国の再建を目指す中核的グループを自認、官僚の世界からは池田勇人、佐藤栄作が後に総理大臣となり、やがて田中もその座に就くことになる。
 「吉田学校」には宗門上がりの広川弘禅といった党人派もおり、田中はこの一員となるため広川がナマグサ坊主であることから秘蔵の春画をプレゼントするなど、“裏口入学”にもアセを流したのである。

 さて、当選した田中は初っ端からタダ者ではなかった。本会議に初登壇したのは民主党当時で、ここで1年生にして議会政治、経済政策、戦後復興の在り方を堂々ブチ上げ、早くも「田中あり」を印象付けたのだった。
 また、第1次吉田内閣のあと芦田均内閣が総辞職、その後の政権をめぐってもひと暴れしてみせた。本来なら野党第1党の吉田民自党党首が内閣を引き継ぐというのが常道だが、GHQ(連合国軍総司令部)が「吉田は保守反動で戦後日本の民主化にはふさわしくない」との判断で、同じ民自党幹事長だった山崎猛に肩入れしてきた。これには民自党内の反吉田グループによるGHQと組んだ謀略説もあったが、党の総務会で田中はこの「山崎首班」に待ったの声を上げたのである。サビのある渋いダミ声で、テーブルをたたいてこう言った。
 「いかにGHQと言えども、その国の総理大臣を誰にする彼にするというのは、内政干渉そのものであるッ。過去、こんな例があっただろうか。これをこのまま許しておいていいものかどうかッ。日本の世論が、一体どう反応するか。大体、本当にGHQがそんなことを言ってくるものかどうか。GHQが吉田首班でいかんと言うならば、わが民自党は堂々下野すべしッ。私は断固として闘う!」
 この田中のブチ上げに、総務の間からは「黙れッ、チョビひげ野郎!」「若僧に事情が分かるのかッ」とヤジ、罵声が飛ぶ一方、「そうだッ、田中の言うとおり。断固、GHQと闘うべし!」との声も出たのだった。当の吉田はといえば、やがてこうした議論の中、「山崎首班」が劣勢となったことでご満悦だった。昭和23年10月、第2次吉田内閣が発足すると「あのチョビひげの若いのをどこかの政務次官にはめ込むように」と、政務次官人事担当の林譲治副総理に“厳命”したのであった。この吉田のツルの一声で田中は法務政務次官に就任、吉田の覚えめでたさも同時に手に入れたということだった。

 そうした一方で、後に変わらぬ陳情の面倒見のよさも、早々に発揮していた。田中の選挙区の新潟県刈羽郡西山町の江尻勇元町長は、筆者のインタビューでこんなエピソードを語ってくれたものであった。
 「県教育界からの陳情で上京すると、よく文部省に同行してくれた。ツカツカと文部事務次官室に入って行くんだ。次官の机の上には、陳情の書類が山のように積まれている。それを一枚一枚めくって、その中から私の要望書を見つけだし、さっと一番上に置いてしまう。次官には、『頼むよ』の一言だったナ。これで予算化の優先順位は大逆転、このくらいのことは屁のカッパだった。官僚、役所に憶するところはまったくなかった。すでに、民主党時代に国土計画常任委員、民自党では選挙部長もやっていたことで、特にこの時代にして建設省にも顔が利き、全国の選挙事情にもなかなか詳しかった。後の建設省は“わが官庁”、政界一の選挙通もこの当時に培われたものだ。バックに吉田茂がいたことで、怖いものがなかったということだろう」

 やがて「吉田学校」“十三奉行”の一角を占めることになる田中は、後に若手議員にこう言っていた。
 「頂上を目指すなら、まず大将の懐に入ることだ。大将は権力そのもので、あらゆる第一級の情報が入る。大将以外は、ろくな情報は入らない。第一級情報を分析すれば、おのずと自分のやるべき方向性が分かる」と。

 しかし、こうした田中ではあったが、世は常に好事に魔多し。法務政務次官になって1カ月も経たぬうち、突然、田中の自宅と社長である田中土建工業本社に東京高検特捜部の家宅捜索が入るという事態が起こった。贈収賄事件に巻き込まれ、有頂天の田中は“危機一髪”を迎えることになるのである。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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