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58年の歴史初! 会津まつり藩校行列中止の裏で…

 会津まつりは、例年9月に行われ、「提灯行列」を皮切りに、「会津磐梯山踊り」「会津藩公行列」「日新館童子行列・鼓笛隊パレード」の諸行事が3日間に渡って繰り広げられる、会津の一大行事だ。

 メインイベントの「藩校行列」は、市民らが歴代の藩主や戊辰戦争を戦った白虎隊、娘子隊などに扮して、市内を行進する行事である。
 58年の歴史を持つ会津まつりであるが、会津藩校行列が台風の影響による大雨の為、58回目にして初めて“中止”となってしまった。
 しかし、会場には侘しいムードが漂うばかりと思いきや、雨天の中行われた「先人感謝祭」においてサプライズが待っていた。
 今回の出演者には1986年の年末時代劇スペシャル『白虎隊』において白虎隊士の一人、伊東悌次郎役で出演した、歌手・俳優の岸浩太郎が一般公募枠より参加し家老・田中土佐役としてゲスト出演した。
 岸は挨拶の席で、『白虎隊』並びに会津へ対する想いを述べると共に、劇中で白虎隊氏が壮絶な自刃を遂げるシーンにおいて、歌い上げた詩吟を実に23年ぶりに披露した。
 参加に際して、岸は「まさか、私のゲスト回に中止にならなくても…藩公行列において、岸の次席家老“田中土佐”を観て頂けなかったのが残念です」とのコメント。

(※伊東悌次郎:安政元年(1854年)生まれ。会津藩士・伊東左太夫の次男。白虎隊に入隊できるのは16、17歳の少年たちであったが、15歳の悌次郎は熱心に志願し、しかも身体が大きかったことから入隊を許された。飯盛山で自刃した19士の一人。
※田中土佐:文政3年(1820年)生まれ。次席家老として会津藩主・松平容保に仕えた。戊辰戦争では、主戦派のひとりとして新政府軍と戦い、会津城下の戦いでは甲賀口の守備を担当。このときの戦いで畳を銃弾を防ぐ壁にしてまで奮戦したといわれるが、重傷を負ってしまい、最期は同じく主戦派の家老である神保内蔵助と共に会津藩の医師・土屋一庵の屋敷で刺し違えたという。享年49。)

●会津若松観光物産協会公式サイト
http://www.aizukanko.com/
●岸浩太郎オフィシャルサイト
http://www.geocities.jp/gentarou_gorou/solbrain.html

(小野寺浩 山口敏太郎事務所)

【参照】山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou

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