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魔女狩り将軍マシュー・ホプキンスの謎(後編)

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画像はイメージです。

 ホプキンスが魔女狩り事業を開始した17世紀半ば、イングランドは国王派と議会派との内戦下にあった。戦いの中で政治や行政は混乱し、権力の空白が生じていた。混乱に乗じて「魔女狩り将軍」を自称したマシュー・ホプキンスは、政府から任命されたかのように装いつつイングランド東部各地で魔女裁判を行い、魔女発見の必要経費として地元住民から手数料を徴収して財を得たのだ。魔女裁判そのものも集団ヒステリーの暴走といえるが、ボプキンスは社会の混乱や人々のパニックを悪用し、金をせしめるために多くの人々を騙したのである。

 ホプキンスが魔女裁判詐欺を行った17世紀のイングランドでは、魔女を取り調べる際の身体的拷問が禁じられていた。そのため、ホプキンスは3種類のトリックを用いて、犠牲者を陥れた。まず、魔女には「痛みを感じない魔女の印」があると信じられていたことから、犠牲者を全裸にして鋭い突起を持つ魔女魔女探索針で魔女の印を探しだした。その際、ホプキンスは針に「留め金を外すと針が引っ込む」細工を施していたため、好きなタイミングで留め金を外して魔女の印を示すことができた。

 次に、魔女は水に沈まないので溺れずに浮くと信じられていたため、拘束した犠牲者を川や池に放り込んで判定することもあった。その際、ホプキンスは犠牲者を縛った綱に細工を施し、あたかもアメンボウのように水面で浮いているかのように見せかけて魔女の証拠とした。それでも魔女であることを認めない、認められない場合は、被疑者を不眠不休で歩かせ続け、意識混濁状態へ追い込んだ上で自白を強要するなど、様々な詐術を駆使して犠牲者を魔女に仕立てあげたのである。

 ホプキンスは1644年春からから45年夏に至る1年半の間に、なんと230〜300人もの魔女を処刑し、その際に20〜30ポンドの魔女処分手数料を請求して莫大な富を得たという。貨幣価値を換算するのは難しいが、当時の職人は1ポンドあれば半年から1年は生活できたというから、魔女を処刑するごとに2〜3千万円ほど稼いでいたと見て良いだろう。しかし、いくらなんでも1か月に16〜20人、毎週4人以上のハイペースでの処刑はやり過ぎだったようで、やがてホプキンスを批判するパンフレットが配られ、魔女狩り将軍は開店休業となった。

 ホプキンス自身も自らの正当性と魔女狩りの意義を訴えるパンフレットを作成、配布して対向するなど、あたかも宣伝合戦の様相を呈したが、遅くとも1646年には廃業を余儀なくされ、何処ともなく姿を消していった。ホプキンスの最後は、騙されたことに怒った群衆がなぶり殺したとも、伝染病にかかって1647年に死んだとも伝えられるが、確かなことはわからない。

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