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栃木・旧今市児童殺害事件犯 勝又拓哉容疑者に染み付いたマザコン・ロリ・DV癖

 栃木県旧今市市(現・日光市)で、'05年12月に発生した小学1年生の吉田有希ちゃん(当時7歳)殺害事件は、6月3日、同県鹿沼市に住む勝又拓哉容疑者(32)が殺人容疑で逮捕され、8年半の時を経ていったんの解決をみた。
 「有希ちゃんの連れ去り現場から遺体発見現場(茨城県常陸大宮市)までの途中にある防犯カメラに勝又容疑者の白いセダンが映っており、その後の画像解析で車のキズまで一致した。また、家宅捜索で押収したパソコンには、消去したものも含め多数の女児の画像が残され、それらを復元したところ有希ちゃんの画像も含まれていた」(捜査関係者)

 有希ちゃんの遺体には約10カ所の刺し傷があり、メッタ刺し状態だったという。
 「幼い女の子に興味があって有希ちゃんを連れ去ったが、泣き続けたので車を停めて刃物で刺した。当時はたくさん刃物を持っていたので、いくつかを試してみた」と供述した勝又容疑者。その素顔とは、どんなものだったのか。

 勝又容疑者は1982年、台湾の台北市で台湾人の両親のもとに生まれ、10歳の時に離婚した母親とともに来日。元義父である日本人の再婚相手と同県今市市に住むようになり、有希ちゃんと同じ同市立(現・日光市立)大沢小学校を卒業後、大沢中学校に通った。
 当時の同級生は、かつての勝又容疑者について次のように語る。
 「その頃はチェン・ファンチェンという名前で、日本語があまり上手ではなく、教室の片隅にぽつんと一人でいることが多かった。それでも、同級生と身振り手振りでコミュニケーションを取っていましたよ。中学校に入学してからは、勉強について行けなくなったようで、休みがちになりました」

 中学卒業後は、日光市内のホテルに就職するも、すぐに辞め、コンビニのアルバイトや派遣労働に就いたが長続きしなかったという。女児への趣味が見られるようになったのは、その後、母親の骨董商を手伝うようになってからだ。
 「土日に開かれる茨城県那珂市の骨董市や栃木県宇都宮市のフリーマーケットなどで母親の手伝いをする他は、もっぱら家にこもりパソコンをいじっていました。'09年に帰化した頃には、優しい雰囲気から骨董市などで女の子にもてるようになり、その頃から幼女趣味が加速していったようです」(中学時代からの知人)

 '13年7月30日の勝又容疑者のものとみられるツイッターには《ランドセルはよ!! 実装はよ! スク水+ランドセル、最強な組合わせ!! 実装したら本気出す!》といったロリコン趣味を思わせるつぶやきが投稿される一方、「有希ちゃんの事件発生当時にはナイフを集めるのが趣味で、20本近く持っていた」(同)という凶暴性も、すでに持ち合わせていた。

 勝又容疑者は時折カッとなることがあったというが、その時は決まって母親の悪口を言われた時だった。
 「町内会の集まりに顔を出す時もあったのですが、確かにその時も当たりが良く女性の受けは良かったようです。しかし、母親の噂話が出た時などは一変、必要以上にキレる一面も見せていた。事件発生直後、元義父が『拓哉が怪しい』と言うと、母親は『黙ってろ!』と激怒したこともあったそうで、何においても母親がかばい、その溺愛ぶりは半端ではなかったようです」(社会部記者)

 勝又容疑者について「善悪の判断がつかない子に育った」と語るこの元義父は、事件のわずか1カ月後に栃木県警に「怪しい男がいる」と情報提供まで行っていた。
 「それも一因となって、のちにこの夫婦は離婚するのですが、以前から元義父が離れる形で別居状態にあり、家族関係はぎくしゃくしていた。近隣住民によれば、勝又容疑者の元義父に対する暴力も絶えなかったようです。結局、勝又容疑者と母親は今年1月に偽ブランド品を販売目的で所持していたとして、商標法違反容疑で逮捕、起訴されている。これらのことからも、孤立した母子の関係の深さが窺えます」(地元記者)

 育った環境がゆえの母親への依存と凶暴化、そしてロリコン趣味が招いた事件だったのか。

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