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市橋達也被告が潜伏していたオーハ島って、どんな島?

 07年3月、千葉県市川市でイギリス人英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)の遺体が見つかった事件で、殺人、強姦致死、死体遺棄の罪で起訴された市橋達也被告(32)の逃亡手記「逮捕されるまで〜空白の2年7カ月の記録」(幻冬舎)が、1月26日に発売された。

 市橋被告は大阪などで働いて金を貯め、沖縄・久米島近くの離島オーハ島で潜伏生活を送っていたことが明らかになった。オーハ島には都合4度渡ったと見られている。著書によると、島の名称や、移動手段について詳細には記されていない。ただ、足がつきやすい飛行機ではなく、沖縄本島から船で久米島に渡ったのは確かのようだ。

 沖縄本島の西に位置する久米島まではフェリーで約4時間かかる。久米島の東に橋続きで渡れるのが奥武島(おうじま)で、オーハ島はその400mほど東にある周囲2.7km、面積0.37k平方メートルの小さな島。

 オーハ島は明治時代末期から入植が始まり、最盛期の60年(昭和35年)には134人が住んでいたが、その後、沖縄本島への転出が続き、島が属する久米島町役場総務課によると、現在は70代のオジイ1人しか住んでいないという。昔はさとうきび生産が主たる産業であったが、現在は自給自足。観光スポットがないこともあり、よほど無人島や人口の少ない島に興味がある人でなければ訪れることはないだろう。

 移動手段は基本的には久米島からのチャーター船。ただ、市橋被告は船では渡っていないもよう。かつて、奥武島からオーハ島へは干潮時に歩いて渡れたが、現在は船を通すために深堀した影響で徒歩で入るのは不可能と一般的にいわれている。潮の流れも早く危険と隣り合わせらしい。だが、実際には干潮時に浅目のルートをたどれば、かろうじて歩いて渡れるようだ。しかし、オーハ島側がかなり深いため、十分な注意が必要。そもそも、命懸けの逃亡生活なのだから、市橋被告は徒歩で入ったのだろう。

 できるだけ人が少ない島に潜伏したい。しかし、船をチャーターしたのでは面が割れる。人が少なく歩いて渡れるというのが、市橋被告がこの島を選んだ理由かもしれない。といいながら、島のオジイと会話した描写には、逃亡と矛盾を感じたりもするが…。

 突如、連日ニュースで報道され、次々にマスコミが入って島の平和が乱された。いちばん迷惑を被ったのは、静かに暮らしていたオジイだ。

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