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森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 ルール社会の窮屈さ

 日産自動車は、資格のない従業員が安全環境性能検査を行っていた問題で、3年9カ月の間に国内向けに製造したすべての車両、116万台のリコールを国土交通省に届け出た。
 工場で生産された車は、ナンバーを取得して登録するまで9カ月間の有効期限があることから、正規の検査を受けていない可能性のあるすべての車をリコール対象とした。
 本来であれば、資格のない従業員が検査した車のみをリコールすれば十分なのだが、その特定には時間がかかる。そのため全車リコールという異例の判断を下したのだ。

 私は、この経営判断は正しいと思う。三菱自動車の苦い経験があるからだ。三菱自動車は、平成12年に、23年間にもわたってリコールにつながる重要不具合情報を隠蔽していたことが発覚した。また、平成16年にも大規模なリコール隠しが判明している。さらに昨年には、軽自動車の燃費データの不正事件が発覚して経営が追い詰められ、日産自動車の傘下に入ることを余儀なくされた。日産自動車も、不正検査の問題を長引かせれば、経営が揺らぐことにつながりかねないのだ。
 しかし、経営判断としては正しくても、こうした対応が社会全体として望ましいのかという点については、私は大きな疑問を持っている。

 道路運送法では、公道を走る自動車は、車検場で検査を受けなければならないことになっている。ただし、新車に限っては、メーカーが社内で検査を行えば、車検を受けたことにできる。製造したばかりの車に、不具合がある可能性は低い。だから、新車時の車検をメーカーに任せるという判断は正しいだろう。
 また、日産自動車は検査をしていなかったのではなく、資格を持っていない従業員が検査を行っていただけなので、リコールをしても次々と車に不具合が発見されるような事態にはならないのだ。

 ここで問題になってくるのは、250億円以上とされるリコールに伴う莫大な費用だ。単純計算すれば、1台当たり2万円以上の再検査費用が必要ということになる。
 消費者の立場から考えたら、わざわざ再検査のために車をディーラーに持ち込んでも、不具合が発見される可能性は、ほとんどない。持ち込むのにも手間がかかる。それだったら、日産自動車からおわび料として、2万円のキャッシュをもらったほうが、よほど嬉しいだろう。

 しかし、いまの世の中、そうはならない。日本が「ルール社会」に変わってきているからだ。
 ルールを破った者には厳罰を与える代わりに、ルールさえ守っていれば何をやっても構わない。最近の不倫報道を見れば、それは明らかだ。政治家も芸能人も、不倫が発覚したら一発アウトになる。その人の業績や人間性は、一切、考慮されないのだ。
 かつての日本は、もっと曖昧で、愛人を抱える政治家や浮名を流す芸人は珍しくなかった。
 社会の変化は、米国の市場原理主義が日本に浸透してきたことの表れだろう。万事をルールだけで裁くのは確かに合理的ではあるが、それが窮屈な社会をもたらしてしまうことは、間違いないだろう。

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