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2016年夏の甲子園 名門・横浜高校の継承と平田徹新監督

 7月31日、大阪府、神奈川県の決勝戦が行われ、履正社と横浜の2校が代表の座を勝ち取った。両校とも、プロ野球スカウト団が注目していた。履正社には「ドラフト1位指名もあり得る」とされる好左腕、寺島成輝がいる。「寺島はまだ全力投球していないのではないか」の声も上がるほど高評価を受けており、2番手左腕の山口裕次郎も上位指名候補とされている。甲子園で同校が上位進出すれば、寺島、山口の評価はさらに高まるだろう。しかし、高校野球フリークは横浜高校の新監督、平田徹氏に注目していた。

 横浜高校といえば、名将・渡辺元智監督が一時代を築いた名門校である。渡辺氏は昨年夏の大会をもって勇退され、後任に推したのが平田監督だった。平田監督のそれまでの肩書は同校野球部部長で、保健体育教諭として、野球部コーチも務めてきた。同校野球部の卒業生であり、「捕手で主将」とのこと。33歳、年齢的には東京ヤクルト・成瀬善久、DeNA・荒波翔が活躍した世代である。
 「主将と言っても、在学中は『その他大勢の一人』だった」(学校関係者)
 また、同校元部長の小倉清一郎氏は連載を持つ夕刊紙で「渡辺監督も退き、平田が監督になったことで有望な中学生が集まらないなんてことにならなければ…」とも心配していたが、神奈川県大会のベンチ入りメンバーを見る限り、渡辺−小倉時代にも引けを取らない好選手が集まったようである。改めて春季地区大会でベンチ入りした20人を見直してみたが、一年生が4人もいた。「一年生春」でベンチ入りである。平田体制になっても、有望中学生が「横浜高校で野球をやりたい!」の思いは変わらないようだ。

 その「その他大勢の一人」だった平田監督が恩師・渡辺氏の評価を変えさせたのは、大学在校中だったという。
 同校に限らず、野球で就職、進学した卒業生が夏休み中に近況報告と陣中見舞いでグラウンドにやってくる慣例がある。国際武道大学に進んだ平田監督もグラウンドを訪れたのだが、一目見るなり、渡辺氏は“直感”したという。
 「平田が帰るとすぐに大学に電話をし、教職課程の授業を取得しているのかどうかなどを確認しました」(前出・関係者)
 同大学監督の岩井美樹氏にも直接電話を入れ、平田の今後について相談した。
 「平田は大学のブレザー姿でした。他の卒業生はTシャツ、短パン。どんなに暑くても平田はブレザーを脱ごうとしませんでした。敬語もきちんと使え、渡辺氏は『コイツにこんな礼儀正しい一面があったのか』と評価を改めました」(前出・同)
 平田氏の進んだ国際武道大学の岩井監督にだけは「自分の後継者にしたい」との考えを打ち明け、在学中はそのつもりで鍛え上げてほしいとも頭を下げたそうだ。渡辺氏が求めた指導は「野球の輝かしい経歴」ではない。「人格形成」である。平田氏は横浜高校に戻り、約10年間、渡辺氏の下でコーチ、部長を務めながら“帝王学”を学んだ。

 「松坂大輔、涌井秀章、高濱祐仁など好選手を輩出していますが、渡辺監督は『野球を通じての人間形成』を一番に置いていた指導者です。平田氏個人には輝かしい経歴はありませんが、自分の思いを継承してくれるはずと思ったんでしょう」(同)
 監督・平田は名門野球部を託され、一年目で晴れ舞台を掴んだことになる。もちろん、渡辺氏は今も後方支援は続けている。
 今大会で背番号1を背負った藤平尚真は春季地区大会では「10」番だった。U-15ですでに世界を経験した逸材であり、故障等で伸び悩んだ時期もあったようだが、その影にいた控え投手の石川達也も育て、同時に藤平を投げやりにさせなかったのは、監督・平田の“メンタル教育”の成果だろう。投手を含めた内外野の基礎練習に長く時間を割く横浜高校のスタイルは変わらない。だが、「その他大勢」だった平田監督だからこそ見えるものもあるのではないだろうか。今夏の甲子園では「名門校の継承」という点でも注目が集まりそうだ。

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