田中久美というアイドルを覚えているだろうか? 83年にホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝して、翌84年3月に『スリリング』でデビューを果たした。ちょっと鋭い目が特徴であり、カワイイという感じではなく、どちらかと言うとカッコイイ部類であり、ちょっとミステリアスな顔立ちが特徴だった。
同期であり同じ地方出身者で同じ高校に通っていた岡田有希子と親友だったこともあって、個人的にデビューからずっと追いかけていた岡田有希子と並行して、田中の動向もチェックはしていた。これまでに音楽祭などの新人賞ノミネートでは、観覧という形で何度も田中の歌っている姿を観ていたが、ただ観たという事実だけで、自分の中では会ったとは言いたくなかった。ようやく会える機会ができたのは、85年1月である。デビューして10か月後に『火の接吻』という4枚目のシングルを出し、その発売記念イベントだった。場所は私の定番スポットである後楽園けやきステージで、申し訳ないが人気もそれほど高かった訳では無いので、開場直前に現場へ行くことにした。
さすがに最前列は空いていなかったが、前方の良席が空いていたので、迷わず着席した。かなり近い距離だったが、なぜかこの時に撮った写真はアップばかり。たしかこの日は300mmのレンズを友達から借りたので、調子に乗ってアップばかりを撮ってしまったような気がする。イベントが終了すると握手会がスタートするのだが、握手会では力強くギュッと手を握り締めてくれて、会話をしている時も丁寧な対応だった。この時にもっと早く会いに行けば良かったと後悔してしまった。なので、次のシングルを発売したらイベントには絶対に行こうと決意をしていたのだが、実質このシングルが最後になってしまい、イベントは開催されることは無かった。
86年3月に高校を卒業をして、同時に芸能界の引退も発表された。わずか2年の活動だったが、私個人としては非常に密度の濃い活動だったと思う。ただ1回しか会えていないのが心残りである。どういう気持ちで引退を決意したかわからないが、引退した数日後に田中の親友だった岡田有希子が投身自殺を図り、帰らぬ人になってしまった。親友の死を知った時には、既に芸能界を辞めてしまっていたので、その時の胸中がどうだったかは誰も聞くことはできなかった。
引退して東京を離れ故郷の福岡県に戻り、デパートに就職し、同僚と19歳で結婚して32歳で離婚。その後に再婚をして、現在は病院で事務の仕事をしているそうだ。仕事の傍らイベントなどで歌ったり、コミュニティーFMでラジオのパーソナリティーも担当しているという。地元に帰って芸能活動をしているので、今でも福岡に行けば会うこともできる。アイドル当時は1回しか話しをすることができなかったので、もし福岡に行く機会に恵まれたら田中を訪ねたいと思う。今でも当時のファンがライブに来たり、ラジオのリスナーだったりするみたいなので、私もそのひとりになって、当時にタイムスリップしてみたいと思う。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。