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バレーボールとジャニーズの歴史

 21日、女子バレーボールがリオデジャネイロ五輪への出場を決めた。これにて4大会連続出場を達成したが、バレーといえばジャニーズタレント。4年に1度開催される『バレーボールワールドカップ』(FIVB World Cup)の大会サポーターに抜てきされたグループが、歌手デビューをはたし、デビュー曲が大会テーマソングに起用されるのが慣例になっているからだ。バレーとジャニーズ新人。その歴史をひも解くと…。

 突破口を開いたのは、95年のV6。テーマソングはデビュー曲の『MUSIC FOR THE PEOPLE』だ。メンバー最年少は、当時大阪の中学校に通っていた岡田准一。バレーの練習をする旨であまたのジャニーズJr.が集められ、右も左もわからない岡田がマジメに取り組んでいたため、最後の6人目に抜てきされた。

 その4年後、99年に誕生したのが嵐。デビュー曲の『A・RA・SHI』がテーマソングに起用された。大野智と二宮和也はすでに会社に辞意を伝えており、櫻井翔もバレー後に退所しようと決めていた。つまり、嵐5人のうち3人が、アイドル続行の意思がなかった。それが今では、日本を代表するスーパースターだ。

 03年にはNEWSが誕生。デビューシングル『NEWSニッポン』は、セブン-イレブン独占販売という異例な形が取られた。当時は9人。現在は4人。メンバーが半数を割るという、ある意味で希少価値の高いグループだ。脱退した森内貴寛は、歌手の森進一と森昌子の息子として注目されたが、加入直後に退所。現在は大人気ロックバンド・ONE OK ROCKのボーカル・Takaとして活躍している。

 その4年後の07年には、ジャニーズ史上最多グループ(10人)となるHey!Say!JUMPが誕生。全員が平成生まれというのが特色で、年少組のHey!Say!7とHey!Say!BESTによって構成された。大会テーマソングは、『Ultra Music Power』。横浜アリーナでの発表だった。

 対して、帝国劇場での記者会見直前に本人たちがデビューを聞かされたのは、11年のSexy Zone。デビュー曲は、嵐と同じくグループ名の『Sexy Zone』だ。昨年(15)もスペシャルナビゲーターを務め、ジャニーズ史上初の2期連続となった。

 4年に1度のバレーで、ジャニーズ新ユニットが誕生する。となれば、次は19年。東京五輪を翌年(20年)に控えたこの時期、どんな事変が起こるのか。

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