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人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第56回

 「日本列島改造計画」へ踏み込んだことにより、工場誘致地区に指定された候補地周辺の地価の値上がりを当て込んだ商社をはじめとする大企業が次々と“買い占め”に出、地価はアッという間に暴騰した。
 例えば、昭和48年4月、建設省が公表した全国5490地点の地価は平均約30%、首都圏に限れば35%も暴騰したことを明らかにした。また、高騰したのは土地だけではなく、一般物価も凄まじいばかりの勢いで高騰、毎月1.5%〜2.0%ずつ上昇し続けた。わずか半年ばかり前には「今太閤」「庶民宰相」と喝采を浴びた田中角栄だったが、ここに至ってもはや昔日の面影はなく、人心は離れる一方となったのである。田中の着想の素晴らしさは誰もが認めたが、「負」の側面が現れるや国民の多くが手のヒラを返したということだった。

 当時の田中首相番記者のこんな証言が残っている。
 「地価の暴騰、インフレの高進、さらには前年暮れのよもやの総選挙での敗北も手伝って、田中の普段の表情は大きく変わった。これらはすべて“想定外”ということで、悩みは相当に深かったと思われた。持ち前の明るさは消え、『分かったの角さん』から『だんまりの角さん』と呼ばれるようになっていた。さらに追い打ちをかけたのは“オイルショック(石油危機)”だった。折から顔面神経痛を患ったため顔が歪み、歯切れがよく分かりやすかった国会答弁も次第に不明瞭になっていったものです」

 立ち往生する日本列島改造計画に、あたかもトドメを刺すかのようにオイルショックが日本列島を襲ったのはその年(昭和48年)の秋であった。
 OAPEC(アラブ石油輸出国機構)が、この年10月に勃発した第4次中東戦争を有利に導こうと、イスラエル友好国に対する原油価格の値上げと原油自体の供給削減を決定、ために原油価格は一挙に4倍にまで急騰、折からのインフレの高進と相まって、日本は未曾有の経済危機に直面したということだった。
 「角福総裁選」で敗れ、行政管理庁長官として入閣していた福田赳夫は、これを評して「まさに狂乱物価」と批判した。地価や物価の高騰はとどまることなく、国民も一種のパニック状態に陥ったものだった。石油がなくなる、トイレットペーパーがなくなるという不安心理から、全国の主婦が争って買い求めるという“トイレットペーパー騒動”も起きたのだった。

 田中にとってはまさに緊急事態発生、もはや列島改造を云々しているときではなかった。田中内閣は「石油緊急対策要綱」「消費節約運動」などを立て続けに発表、事態の収束に努めたが効果なく、むしろこうした施策が国民の不安心理を煽る結果ともなった。人間、良いことは重ならないが悪いことは重なる。そうしたさなかの11月23日、右腕と頼んでいた大蔵大臣の愛知揆一が急死したのも田中にとっては“痛打”であった。
 田中はこれを機に、政権基盤の再構築、体制強化を狙って愛知死後の翌々日の25日に内閣改造を断行、愛知の後釜の蔵相に財政通と評判だった福田赳夫を起用した。その頃の福田は、
 「角さんの強気はいかにも心配だ。これでは超高度成長そのもので、インフレ加速が避けられないだろう」
 と、田中批判にさらに声を強めていたのだった。

 苦境の中での蔵相就任要請をした田中と福田の間にはこんなヤリトリがあった。
 「国際収支も大赤字のいま、もはや財政、経済とも政策転換をするしかない。それをのんでくれた上で全権を任せてもらえるなら引き受けるが」と福田。これに対して、田中は「しかし、列島改造の一枚看板を下ろすわけにはいかない」と逡巡、難色の表情を見せた。福田が言った。「それでは、とても蔵相は引き受けられない」。しばし沈黙の後、田中が口を切った。「列島改造は止める。お任せしたい」。
 この福田の大蔵大臣起用は、田中の追い込まれた苦悩ぶりが窺われた。福田は長年のライバルであるだけでなく、経済政策的にも田中の高度成長路線に反対するインフレ抑制の安定成長路線を主張していた。言うなら両者は対極的存在で、田中にとっては決定的に列島改造計画の大幅後退を覚悟せざるを得ない決断だったということである。

 その福田は蔵相に就任するや徹底した総需要抑制策を取って物価上昇の抑制にひとまず成功、さらにインフレ対策の目安を付けた上で、翌49年7月、蔵相の座から降りた。田中政権は長からずと見て、「ポスト田中」へ向け立ち位置を保ったということだった。
 ただし、福田蔵相の手による総需要抑制策により、昭和49年度は戦後初のマイナス成長となったのだった。田中は福田に「任せた」と言った以上、その間、予算に一切の口を挟むことはなかったのである。

 そうした苦渋の中、それでも田中は政権再浮揚に腐心した。内政での失点挽回を、外交に向けたのである。かねがね「中国の次はソ連(現・ロシア)だ」としていた懸案の「北方領土」問題解決へ向けての交渉に、ミコシを上げたということだった。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。

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