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イチローのかつての盟友パンチ佐藤が語る「イチローの素顔」

 今年8月21日、日米通算4000本安打を記録したニューヨーク・ヤンキースのイチローは来年、不惑を迎える。かつての勢いは些か衰えてはいるものの、まだまだ「現役」。ピート・ローズ氏が所持している大リーグ最多安打4256本も視野に収めた。
 いい意味で「老いてなお盛ん」な「天才」に映るが、かつての盟友で現・タレントのパンチ佐藤は前者こそ肯定するが後者は否定。イチローは「真の努力家」と断言する。

 パンチだけが知る「イチローの素顔」に迫りたい−−。

 読者諸兄もうすうす感付いている通り、イチローに対する邦人メディア(日本のマスコミ)評は極めて良くない。理由は「自分の気に入った記者以外、まともに喋らない」からだ。これはサッカーの元日本代表・中田英寿氏にも言われ、残念ながらご両人は、意味も無いところで損をしている。
 一方、その逆でマスコミ受けがすこぶるいいのは松井秀喜氏。「誰に対しても」「いつ何時でも」「分け隔てなく」気分良く接し、媒体によっては「下半身ネタ」もリップサービスするところが評価されている。古参記者達をして「ON(王貞治・長嶋茂雄)の再来」と言わしめている程の人格者なのだ。

 ところがそんなイチロー評に異議を唱えるのがパンチだ。
 「イチローは頑固なところはありますが、実は普通の青年ですよ。彼は勉強していない記者の質問が嫌なのです。例えば、“イチローさんって名古屋の何処の高校出身でしたっけ”という質問がきたりするとプイと横を向いてしまう(答えは愛工大名電高校)。僕などは“パンチさんは武相高校から熊谷組でしたよね”という質問が来ると“イヤ、その間に『国立(本当は私立)亜細亜大学』が抜けています”と返せるのですが…。でも、大リーグで揉まれて随分、大人になった気がしますけどね」

 又、悉く(ことごとく)イチローに言われるのが「天才」。「努力の松井」に対し「天才のイチロー」…これは完全にマスコミが作り上げたイメージなのだ。
 勿論、この「イメージ」にもパンチは鋭く反応。こう切り返す。
 「イチローは努力家ですよ。入団当初は身体が堅くて開脚前屈が出来なかった。それが今ではテレビでも映っていますが、難なくこなしている。僕と一緒にプレーしていた時、誰よりも先に球場入りしてマシン相手に打撃練習をし、試合終了後は一人、トレーニングに励んでおりました。風呂は最後だったですよ。これが毎日ですからね。才能はあったかもしれませんがこの姿を見ていた私に言わせると“努力していたからな”となりますよ」

 そのイチローに関して最近、話題になっている書籍が『天才打者イチロー4000本ヒットの秘密』(幸福の科学出版)だが、同書はイチローの“守護霊”が登場。普段、無口な本人に代わり雄弁に「今の思い」を語っている。

 同書にはイチローの守護霊は剣豪の塚原卜伝(つかはらぼくでん)と言われているのだが、イチローを間近で見てきたパンチには彼が“剣豪”に映るモノなのか?
 「イチローは細いバットを好んで使用しています。バットケースからバットを抜き出す所作は、日本刀を鞘から抜き出すそれにソックリ。剣士みたいです。後、彼は道具を非常に大切にする。オリックス時代の話ですが、いつもスパイク、グローブを念入りに磨いていた。これはサムライ精神ですよ」

 大リーグでは用具係が確立しており、道具の管理は彼らの仕事。選手はバットやグラブは単なるモノでしか無い。よって日本の様に「道具を大切にする」文化が無いのだ。
 まさに「剣豪」と言うべきなのか。さらに「守護霊」は「泰然自若」を訴える…。
 「まさに用意周到、準備万端という雰囲気でした。常に平常心を持っていましたね。それも弱冠二十歳前から。これは恐ろしいですよ。いつも余裕を持って行動していましたね。何しろ球場入りは一番ですし、バッターボックスでも慌てない。なかなか出来るものじゃありませんよ」

 大リーグに行っても「日本流」を貫き通すイチロー。我々にとっては何とも心強いが果たして、「我流」でチームメ−トと打ち解けているのか−−。
 守護霊は「チームプレーを重んじている」と語っているが、そのあたりについてパンチはどう考えているのだろうか−−。

 「結論を言えば、結果としてチームプレーに徹しております。しかし、過程は個人プレーですよ。それはプロ野球を職業としている人は全て同じです。個人事業主ですから。イチローは“ヒットを打ちたい”。これに特化した。阪神大震災後は“ヒットを打つ事で神戸が元気になる”と信じてヒットを打つ事に専念した。変な言い方ですがイチローは自らのヒットに拘ったのです。これは“チームの事情は関係なく”ですよ。ただ、結果としてイチローがヒットを打つ事により打線が繋がる訳です。これはチームが勝利に近づく方程式にもなる。要はイチローがヒットに拘るのは結果としてチームプレーになっているのです」

 パンチはそう語ると、当時のオリックス打線の役割を懐かしそうに話し始めた。パンチにとって、又、イチローにとっては90年代初頭のオリックスは忘れる事の出来ないチームだったと言えよう。そのオリックス時代、かつての恩師・仰木彬監督のもとで二人は登録名を「パンチ」「イチロー」としてもらった。年齢の差こそあれど、盟友の二人は今も強い絆で繋がっているようだ。

 オリックスから米国に旅立ったイチローとオリックスから芸能界に旅立ったパンチ…仰木監督の魂は二人にとって、今でもしっかり生き続けている。

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