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ニューギニアで消息を絶った大富豪の御曹司は、食人族の胃袋へ収まったのか? 第1話

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画像はイメージです。

 ロックフェラー家は世界を代表する大富豪で、またジョン・ロックフェラー・ジュニアが設立したロックフェラー財団は様々な慈善事業によって広く知られており、日本でも野口英世との関わりなどで馴染み深い存在である。いまから約半世紀ほど前の1961年、ロックフェラー・ジュニアの孫、ロックフェラー家の御曹司とでも言うべきマイケル・ロックフェラーがオランダ領ニューギニア(当時)で行方不明となり、大掛かりな捜索活動にも関わらず、遺体すら見つけることができないまま死亡したものとみなされた。

 世界的な大富豪一族の一員がニューギニアで消息を絶っただけでも世界的なスキャンダルといえるが、そればかりかマイケルは食人の風習が残る現地で住民に捉えられ、食べられてしまったかもしれないと推測する者も現れたのだ。たしかに、マイケルが消息を絶った地域はニューギニアの中でも外部の人間がほとんど立ち入らない地域で、近代文明から隔絶された人々が暮らす世界の秘境であった。

 当時、マイケル・ロックフェラーはまだ23歳の若者で、世界に名を知られたロックフェラー家の一員として輝かしい将来を約束されていた。なぜ、大富豪の御曹司としてなに不自由なく暮らすこともできたマイケルが、わざわざ世界の秘境へ旅だったのか?

 彼がニューギニアを訪れたのは、美術品として収集していた呪術などに用いられる彫像などを得るためだった。蒐集した美術品で友人たちとニューヨーク近代美術館を開いた祖母のアビーほどではないにせよ、美術品への情熱は並大抵のものではなかったとされる。また、マイケルはハーバード大学のピーボディ考古学・民族学博物館がオランダ領ニューギニア(当時)のダニ族を調査するために派遣した探検隊に参加し、録音技術者として熱心に働いた他、数多くの記録写真を残している。調査活動を通じて原住民の素朴な呪術具に魅せられたマイケルは、帰国後すぐにニューギニアへ旅だったのである。

 もちろん、マイケルの目的は美術品の収集だったが、彼はニューヨークで原始美術博物館の建設を構想していたとされ、大型の彫刻や戦士たちの盾、そして首狩り族の干し首を収集対象にしていたらしい。そのため、マイケルはダニ族ではなく、車輪や鉄器すら知らなかった狩猟採集民、アスマット族の呪具を収集しようとしていた。ただし、アスマット族はかなり好戦的で、当時はまだ食人の風習を保っていたのである。

 そして、マイケルが姿を消したのは、そのアスマット族が暮らす地域だった…。

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