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100周年 2015年夏の甲子園 「高校野球の転機は金属バット導入」(後編)

 1974年第56回夏の甲子園大会で、金属バットが解禁された。解禁年を大会全体で見てみると、同年の大会総本塁打数は11。木製バットのみだった前年は10本である。たった1本の違いしかないのに、なぜ、この年が「高校野球=攻撃、大量得点」のイメージを定着させたのだろうか。
 私見だが、金属バット解禁の前年第55回大会決勝戦と試合内容があまりにも対照的だったからかもしれない。

 73年夏の大会を征したのは、広島商(広島県)だった。迫田穆成監督(現広島県如水館高校監督)の率いる広島商といえば、「犠打、エンドラン、スチール」などの小技を巧みに絡めて勝ち上がっていくスタイルだった。地方大会では相手校のスクイズを警戒し、外野手1人を呼び、「内野5人体制」で備えたこともあるという。
 勝ち上がっていけば、好投手とぶつかる。お互い、点が取れない。だから、1点を必死に守る攻防になる。73年、広島商が夏の甲子園大会決勝戦を、スリーバントスクイズでサヨナラ勝ちしている。
 それに対し、金属バットの反発力の高さを存分に発揮したのは、池田高校(徳島県)である。打って、打って、打ちまくる豪快なスタイル。82年夏、池田高校は全国の頂点に立つが、その決勝戦の相手が広島商だったのは、単なる偶然だろうか。

 同年、広島商も金属バットを使っていたが、池田に18安打の猛攻を浴び、2対12で敗れている。広島商の高度、かつ緻密な野球スタイルを築き上げた迫田監督は、このとき、同校の指導から一線を退いていたが、後のインタビューなどで、
 「細かい野球ならいくらでも対応できるが、『ホームラン行け』の指示で本当に長打を打ってくるチームには対応のしようがない。金属バットだからこそできる野球」
 と回顧している。

 高校野球では3点差でリードしていても、決して“安全圏”ではない。金属バットのせいばかりではないが、高校野球は下位打線でも一発が出る。プロ野球はもちろんだが、大学、社会人の野球は木製バットを使っている。金属バット独特の「カキーン」という打撃音も悪くないが、1点を必死に守る攻防を見てみたいと思う。

(スポーツライター・美山和也)

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