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ダンディ・ヒロシ・よしお・髭 みんな“ワイルド”なサンミュージック芸人

 サンミュージックプロダクションの創業者で代表取締役会長・相澤秀禎さんが亡くなり、大物芸能人ばかりがフィーチャーされている。しかし、お笑い界にも貢献している。その歴史をひも解こう。

 同事務所にお笑い部門の「プロジェクトGET」が新設されたのは、およそ15年前。第1号芸人は、ブッチャーブラザーズだ。現在も現役ながら、同事務所が運営しているお笑い養成学校の講師も務めている。最初に輩出したホームランバッターは、まさに「ゲッツ!」の名フレーズで一世風靡したダンディ坂野だ。

 ダンディは、“ボキャブラブーム”や“エンタ人気”といったネタ番組、あるいは、『R-1ぐらんぷり』などのメジャーコンテストから世に出たわけではなく、マツモトキヨシのCM発。着ボイスで荒稼ぎできることを、最初に知らしめた芸人だ。

 その後、名フレーズにネタの安定感も加味させたのは、ヒロシ。消極的な元ホストで、「ヒロシです…」ではじめる自虐話の数々は、悲しさとおかしさを混在させていた。

 芸人史上初、切手になるほどの超有名人になったのは“海パン王子”こと小島よしお。床を踏みつけながら「そんなの関係ねぇ〜!」を連呼するのは、子どもにも人畜無害とあって、予想以上のロングセラーとなった。

 2007年ごろ、宴席で禁止令が言い渡されたほどのブームとなったのは、「ルネッサ〜ンスッ!」。男爵と執事にふんしたキャラ芸人・髭男爵も、フレーズが浸透したパターンだ。

 今なお、「ワイルドだぜぇ」で生き延びているスギちゃんは、同事務所最後のキャラ芸人になるかもしれない。そろそろ賞味期限が見えてきたが、人柄のよさで延命できるか!?

 この実例からわかるとおり、一発屋芸人が多い。他事務所でくすぶっていたが、サンミュージックに移籍してからブレイクしたという判例が多いだけに、「芸人再生工場」「一発屋予備軍」といわれるのは、致し方ない。しかし、ネタのクオリティが高い鳥居みゆきや、俳優としても大成したカンニング竹山など、マルチな才能もあふれている。手駒は多くないが、打率は高い。それがサンミュージック芸人だ。(伊藤由華)

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