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メジャーリーグが投手1人3人ルールを導入へ 過去に活躍したワンポイント投手を振り返る

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加賀繁

 日本時間15日、大リーグ機構と同選手会が、2020年シーズンから「投手は打者3人と対戦しなければ交代できない」というルールを導入することで合意したと判明。今後日本も追随する可能性が高いと見られている。

 日本のプロ野球では左投手を中心に、「1人1殺」のワンポイント投手が活躍してきたが、ルールが導入されると「職を失う」ことになる。そこで今回は過去にワンポイントで活躍した投手を振り返ってみよう。

1、永射保(広島東洋カープ〜西武ライオンズ〜大洋ホエールズ〜福岡ダイエーホークス)

 指宿商業高校から広島東洋カープに入団。太平洋クラブライオンズにトレードで移籍すると、阪急・山田久志投手のフォームを参考にした独自のサイドスローを考案。左打者の背中から腕が出るフォームを完成させ、「日本一のワンポイント」と言われるようになる。

 その独特の球道はレロン・リー、トニー・ソレイタ、門田博光など多くの左打者を苦しめた。「顔を見るのも嫌」という打者がいたほどで、「ワンポイント」の草分け的存在と言われた。

2、清川栄治(広島東洋カープ〜近鉄バファローズ〜広島東洋カープ)

 大阪商業大学からドラフト外で1983年、広島東洋カープに入団。北別府学、大野豊、川口和久など強力な投手陣の中で生き抜くため、永射と同様にサイドスローに転向する。

 するとワンポイントリリーバーとして頭角を現し、29人連続無出塁や連続敗戦なしのプロ野球記録を作る。91年からは近鉄に移籍し、ここでも貴重な左腕として活躍した。

 引退後は広島・オリックス・日立製作所野球部のコーチを歴任し、2019年からは西武ライオンズの二軍巡回投手コーチを務めている。

3、加賀繁(横浜DeNAベイスターズ)

 住友金属鹿島から入団。アンダー気味のサイドスローから鋭く横に滑るスライダーは外国人選手との相性が良く、苦手とする選手が多かった。スライダーを意識させておいてインコースをつくピッチング配球も絶妙で、たびたび「右のワンポイント」として起用された。

 特にヤクルトのウラディミール・バレンティン選手には強く、「バレティンキラー」と呼ばれたほどだった。

4、柴田佳主也(近鉄バファローズ〜日本ハムファイターズ〜阪神タイガース〜福岡ダイエーホークス)

 社会人野球の阿部企業から入団。球はそれほど速くないものの、正確なコントロールを持ち、思い切ってインコースをつく度胸と鋭いスライダーで活躍。2000年には50試合に登板し防御率1.82と抜群の成績を残した。その安定感はすさまじく、「連続登板機会敗戦なし」のプロ野球記録を保持している。

 2001年オフに近鉄バファローズから戦力外通告を受けると、テスト入団と自由契約を繰り返し、2002年日本ハム、2003年阪神、2004年ダイエーと渡り歩く。それだけ柴田という投手が魅力を持っていた証拠である。

 いずれの投手も地味ながら接戦の終盤で登板し、「1人」を抑えることで存在感を示した人物。そんな「いぶし銀」的な選手がルール変更で「絶滅」してしまうことが残念でならない。

文・櫻井哲夫
写真・萩原孝弘

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