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競輪人国記 岡山(3)

 松枝義幸(47期)は突っ張り先行。誰にも先行させず、まくられると番手に飛びつき、さらにまくるという果敢なレースを展開していた。85年のイタリア世界選では中野浩一(福岡)とスプリント決勝で闘い銀メダルをとった。

 昭和61年の平塚日本選手権で落車、大腿突起骨折の重傷を負ったが復帰した。その折、いつも見舞いに来てくれていた白井通義(神奈川)の愛娘と結婚したエピソードが残っている。
 ある意味では特別競輪制覇よりも、ビッグな賞を獲ったのは本田晴美(51期)だろう。適性組で競輪選手になったが「高校に硬式野球部がなくて軟式をやって体を鍛えていた。中学生のころから競輪選手になろうと思っていた」と言う。

 昭和62年のウィーン世界選のケイリンで見事に優勝、日本に初めての金メダルをもたらした。世界選でケイリン種目が採用されてから8年目の快挙だった。
 ケイリン競技では元祖日本だが、それ以来ケイリンでのメダルはとれず、北京五輪で永井清史(岐阜)が銅メダルをとるまで縁はなかった。
 「初出場でまさか勝てると思わんから気楽に走った。調子も良かったし、井上茂徳さんがいい仕事をしてくれたからね」
 その井上の仕事というのは、あと2周から仕掛けた本田マークの井上がいったん離されたが、インを上がって本田マークのロシャ(フランス)を飛ばしてアシストしたのだという。
 本田絡みの面白い話はまだあるが、それは個人情報に引っかかるのでやめておく。

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