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うちなんちゅやまとんちゅ〜沖縄身の丈見聞記〜6「琉球北山の要害 今帰仁城跡」

 本土から沖縄にやってきた筆者が、歴史や事件の舞台を追いかけ、沖縄の独自文化や日々のカルチャーショックのつれづれを綴っていく『沖縄身の丈見聞記』。
 今回は、世界遺産にも認定されました『今帰仁城跡』について。

 12世紀頃から、古代琉球では民衆を束ね、城(グスク)を構える豪族(按司(あじ)と言う)が各地に現れ、小国家を形成していくようになります。やがて14世紀になると、按司の中でも力の強い者が地域を纏めるようになり(※本土で言う所の戦国時代に近いと考えてください)、沖縄本島を北山、中山、南山に三分する『三山時代』を迎える事となります。
 今帰仁城跡はこの三山時代より前、13世紀頃に築城されましたが、誰が、いつ頃建てたのか、正確な所はまだ解っていません。現在も発掘調査が行われていますので、いずれ解き明かされていくことでしょう。
 三山時代、地方の王の誰もが中国の明帝国に朝貢していました。今帰仁城跡の各所からは、当時の繁栄を伺わせる中国や東南アジア系の陶磁器などが発掘されています。
 約100年続いた三山時代は、勢力を増した中山の尚氏が1416年に北山を、1429年に南山を滅ぼし、琉球を統一したことで終わりを告げます。ここから今帰仁城は旧北山統治の要所として監守が設置されることになりました(砦みたいなものですね)。それでも1609年に薩摩による琉球侵攻を受け、攻撃目標となった城は炎上。城壁と礎石の残る今のような状態になったと思われます。
 その後は御嶽(※ウタキ)として人々の信仰、崇敬を集め、今に至ります。城跡には今も火之神を祀る祠が拝願所として残っており、石造りの門や城壁と共に、在りし日の面影を今に伝えています。

 筆者が取材に行った時は桜まつりの期間中でして、城跡のあちこちで寒緋桜が桃色の可憐な花をつけておりました(※写真は2月3日のものです)。今帰仁城内はもちろん、城跡に至るまでの山道も桜並木になっています。濃淡様々な桃色の桜が九十九折りの山道を飾る光景は、沖縄の冬の風物詩にもなっています。

 ちなみに、今帰仁城跡にはにゃんこが多く住み着いています。観光客にツンツンして城跡の管理をしている職員さん方にはデレるという、どいつもこいつも見事なツンデレ猫ばっかりですが(苦笑)、機嫌がいい時はたま〜に撫でさせてくれるとか。

 桜と猫がお好きな方は、沖縄に来たら今帰仁城跡へ足を運んでみるのはいかがでしょうか。

今帰仁城跡 世界遺産 公式サイト<http://nakijinjo.jp/>

(黒松三太夫 山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou/

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