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「時代」を彩った男と女・あの人は今 元男子バレーボール代表・中垣内祐一さん

 名字から由来するニックネームは「ガイチ」。現役を退いた今でも、このニックネームが多くのファンの間で定着している。

 身長194センチ、体重94キロ。ジャンプの最終到達点は346センチで、最盛期のジャンプ力は1メートル以上あったといわれていた。
 筑波大学在学中の1989年、全日本男子代表に初めて選ばれ、その年のワールドカップにも初出場した。
 翌90年、実業団の新日鉄に入部。その後、90年代を代表する男子バレーボールのスーパーエースとなった。
 92年のバルセロナ五輪にも出場、数多くの国際大会を経験するが、00年のシドニー五輪は逃してしまった。「何のためにこれまでバレーボールをやってきたのか、それを思うと、途端に力が抜けてしまった」と、中垣内はその時のことを述懐する。
 その後は全日本男子の代表を退き、新日鉄堺の一部員として活動を続けた後、04年に現役を引退。その年にプレミアムリーグの「堺ブレイザーズ(旧・新日鉄堺)」監督に就任した。
 第12回(05年〜06年)シーズンに優勝したものの、その後は6位、4位、3位と優勝できず、今年5月に監督を辞任した。
 現役時代の個人タイトルは多かった。90年の新人賞をはじめとして、Vリーグと前身の日本リーグで最高殊勲選手賞を3回、ベスト6を9回、敢闘賞と猛打賞をそれぞれ3回ずつ獲得。日本のエースとして君臨した。

 今夏からはアメリカのアナハイムに拠点を置き、日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員としてアメリカの男子ナショナルチームで修業中だ。「世界の厚い壁を打ち砕くための選手の育成が私に与えられた使命です」
 ガイチがその結果を発揮する時、男子バレーが世界の頂点に立つだろうという関係者の期待は大きい。

◎実業団で指導をし育成に力を入れる
 今年の夏からJOC(日本オリンピック委員会)スポーツ指導者海外研修員として、2年間海外に派遣されている。先のコペンハーゲンで行われたオリンピック開催地発表会見の会場で、候補地・東京が落選した時、中垣内が悔しそうな面持ちをしていたのを映像で見た人も多いだろう。
 日本代表としては92年のバルセロナ五輪をはじめとして90年、94年、98年の世界選手権、そして89年、91年、95年のワールドカップに出場という輝かしい経歴を残している。
 67年11月2日、福井市生まれ。福井県立藤島高校から筑波大学へ進学した。
 現在、日本ビーチバレー連盟会長を務める川合俊一は全日本の先輩で、春高バレーの解説で絶叫する川合に対し、冷静に分析・解説する中垣内は評判を呼んでいる。
 実業団で指導し、男子バレーの育成に尽力している中垣内。片や川合はかなりタレント的なところがあり、このあたりも好対照である。

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