search
とじる
トップ > 芸能ニュース > 五輪キャスター関ジャニ村上、なりたかったのは紳助とさんま?

五輪キャスター関ジャニ村上、なりたかったのは紳助とさんま?

pic pic

画像はイメージです

 昨年は渋谷すばる、今年は錦戸亮が脱退して5人体制となった関ジャニ∞。現在はエイター(ファンの呼称)の不安な気持ちをかき消すべく、全国47都道府県ツアーを敢行中。ソロ、グループのレギュラー番組、俳優・歌手活動も衰え知らずで、大みそかの『第70回NHK紅白歌合戦』(NHK総合ほか)に8年連続で出場する。

 村上信五はラジオ、テレビのレギュラー総数がメンバー最多。来年7月24日に開幕する東京オリンピックでは、フジテレビ系番組のメインキャスターを務めることが発表されている。国民的アイドルと呼ばれるにふさわしい大活躍だ。

 次代の名司会者の射程圏内に入りつつある村上。司会者としても、ジャニーズ事務所としても大先輩にあたる中居正広と同じく、学生時代からグループの中心人物だった。今と同じく“仕切り屋さん”だったようだ。中学生の時から明るくひょうきんで、高校受験の際には一般校へ進学するべきか、大阪NSC(吉本興業が運営するタレント養成学校)で芸人をめざすか迷った。V6がデビューしたころ、友人から「むっちゃん(愛称)も(ジャニーズに)イケるんちゃう?」とそそのかされて履歴書を郵送すると、まさかの合格。一変して、関西ジャニーズJr.の一員になった。

 「21歳の時、“関西の女帝”上沼恵美子さんと肩を並べる存在と言っても言い過ぎではないハイヒール・モモコさんの番組『モモコのOH!ソレ!み〜よ!』(関西テレビ)に、レギュラー抜てきされました。ここで関西芸人さんに揉まれ、ハードなロケをこなし、スタジオトークの話術を磨いてスキルアップ。9年半の長きにわたって出演しました。この経験値が、のちのタレント人生を大きく左右しました」(テレビ雑誌の編集者)

 20代の時の口癖は、「おもろなりたいんや〜」。番組共演を機に、“夜のタッグパートナー”になったタレント・内山信二いわく、飲むと真面目な本音をこぼし、「(明石家)さんまさんになりたい」、「(島田)紳助さんになりたい」と何度も語ったという。有名番組で回し、仕切り、誰もが認める名司会者になるのが描いた夢だった。

 紳助さんは暴力団との交際発覚を理由に、11年に芸能界を引退。サシで勝負できる機会を失った。だが、今夏に放映されたフジ系『FNS27時間テレビ にほんのスポーツは強いっ!』では、さんま扮ふんするスナックの“貴子ママ”とビートたけし扮する常連客の“鬼瓦権造”がいるお店に豪華ゲストが訪れる『有名人の集まる店』のコーナーで、お笑い界の2大モンスターと同じ聞き手の立場で出演。鬼瓦権造の息子という設定で同一メイク・服装で挑んだ。同番組では、たけしと17年から3度にわたってタッグを組んでいる。

 さんまになりたかった村上。その大志は、確実に着実に叶っていると言えよう。
(伊藤由華)

関連記事


芸能ニュース→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

芸能ニュース→

もっと見る→

注目タグ