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球界地獄耳・関本四十四の巨人軍、ダッグアウト秘話(3)

 数あるV9伝説の中でファンの脳裏に一番焼き付いているのは、日本中が泣いた、あのミスターの現役引退セレモニーに尽きるだろうな。「巨人軍は永久に不滅です」という決めぜりふは、それこそ「永久に不滅」だろう。

 昭和49年(1974年)10月14日、優勝を決めた中日が名古屋で優勝パレードをするために主力不在で若手中心、メンバー的には寂しい相手のダブルヘッダーだった。が、ファンはミスターの引退試合を見るのが目的だから、相手は関係なく、異様な盛り上がりだった。スタンドもいつもの巨人戦と違って異様だったのを記憶している。日頃は子供や女性ファンが多いのでカラフルなのに、黒色が目立ったんだよね。ミスターと同世代のファンや、仕事をさぼって球場に駆けつけたサラリーマン、後楽園近くの大学の学生が異常に多かったから、スタンドの色まで違っていた。これは鮮明に覚えている。

 ダブルヘッダーの第1試合が終わった後に、突然、ミスターが「外野席のファンともお別れがしたい」と言い出し、外野席に向かって歩いてゆき、手を振るサプライズには、「万が一、何か起こるといけないから」と反対していた球団広報が仰天した。あわててミスターと顔なじみの球場職員に対し、「何あるといけないから、ついて行ってくれ」と頼み込んだ。このミスター伝説は広く知られているが、実は「あわや」の秘話があるんだ。
 球場に行けず、テレビで見た人はわからなかったと思うが、マイクに向かって「巨人軍は永久に不滅です」と叫んだ、あの感動的なミスターの引退セレモニーがあわやぶち壊しの危機一髪だったんだよ。中日の若手選手たちが早く優勝パレード騒ぎの名古屋へ戻りたいものだから、早打ち。ダブルヘッダーだというのに、試合がドンドン進んでしまって、早く終わってしまった。大誤算だ。
 記録を確認すると午後5時にセレモニーが始まっているが、照明灯を消しても、まだ十分に明るい。シナリオでは、秋の日はつるべ落としだから、どっぷりと日が暮れて、マウンド付近に立つミスターに当たるスポットライトが照り映えてシルエットも鮮やかに、感動的な引退セレモニーになるはずが、実際はまだ夕日が差していて、陰影がくっきりとはならなかった。
 「せめてあと10分、試合が遅く終われば、最高の引退セレモニーになったのに」と、中日の一軍半の選手たちの早打ちをうらめしく思ったもんだよ。もっとも、球場にきていた満員のファンも、ミスターの現役最後の姿を目の当たりにして涙にくれていたから、まだ夕日が照りつけていたことなど、わからなかったかもしれない。

 この現役時代最後の試合前の練習に着ていた背番号3の入ったユニホームの上着を、実はオレの親友の寮長の樋沢が持っているんだ。ミスターが練習を終え、洗濯かごに入れたものをしっかりとゲット。クリーニングに出して、後日、ミスターにサインを求めると、「何だ、お前が持っていたのか」とミスターがビックリしたそうだよ。今年で寮長を定年引退だから、バラしてもいいだろう。残念ながらオレのミスターのお宝ものは「3」と入った昔のサンダーシャツだけだよ。

<関本四十四氏の略歴>
 1949年5月1日生まれ。右投、両打。糸魚川商工から1967年ドラフト10位で巨人入り。4年目の71年に新人王獲得で話題に。74年にセ・リーグの最優秀防御率投手のタイトルを獲得する。76年に太平洋クラブ(現西武)に移籍、77年から78年まで大洋(現横浜)でプレー。
 引退後は文化放送解説者、テレビ朝日のベンチレポーター。86年から91年まで巨人二軍投手コーチ。92年ラジオ日本解説者。2004 年から05年まで巨人二軍投手コーチ。06年からラジオ日本解説者。球界地獄耳で知られる情報通、歯に着せぬ評論が好評だ。

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