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街道を歩く(1) 民間信仰と庚申の藤=五日市街道

 五日市街道は、徳川家康が三河から関東に国替えされたのち、五日市(現・あきる野市)など西多摩地方から、秋川谷で焼かれた炭荷らを運ぶために整備された。かつては、伊那道、青梅街道脇道、江戸道などと呼ばれたが、明治以降、五日市街道と名づけられたという。現在の五日市街道は、杉並区内では、西の武蔵野市から続いて、江戸へ飲料水を供給した玉川上水と平行し、地下鉄新高円寺駅付近で青梅街道と合流する。

 五日市街道が整備されるまで、杉並区の五日市街道付近は、武蔵野市・三鷹市一帯まで続く広大な幕府の茅場(かやば)だった。茅場とは、屋根をふくのに必要なかやを育てる場所。街道整備後は、玉川上水開削のため土地を失った人々が移り住むなどして新田開発が進んだ。なお、吉祥寺村(武蔵野市)は、1657年に発生した明暦の大火により移住してきた江戸町人が開発した。

 青梅街道から五日市街道に入り、西へ歩いてみた。

 しばらく進んだ脇道に、小高い台地がある。ほこらが巨木に囲まれている。民間信仰石塔がまつられていた。民間信仰石塔とは、庶民に広まった信仰の碑。五日市街道脇の民間信仰石塔は、地蔵塔、馬頭観音塔、地蔵塔の順で、いずれも江戸期の銘がある。

 地蔵菩薩信仰は、仏教の宗派を越えて民衆に広まった。冥界と現世の境に立ち民衆を見守ることから、地蔵菩薩は村の境や路傍に多く建立されている。馬頭観音塔は、頭に頂く宝馬が四方の四魔を駆除することから、馬場などにも造立された。

 五日市街道に戻りさらに歩く。尾崎橋を使って善福寺川を渡ると、宝昌寺がある。宝昌寺にある民間信仰石造物は、青面金剛立像。庚申塔や地蔵塔らも置かれている。

 この辺りは、街道から一本それたら住宅街になる閑静な街並み。街道沿いにはシラカシ、イロハモミジなどの巨木が並ぶ。12本のケヤキ並木は、街道拡幅工事の際、住民の願いによって守られた。

 高井戸に入り、環状八号線との交差点を越える。道ばたに、庚申塔がまつられている。庚申信仰は、長寿のためには庚申の夜は身を慎み徹夜するべきという道教の説に始まると言われる。中世以降、庶民に広まる。江戸期には、各地で講が結成され、庚申塔が造立される。本尊を青面金剛とし、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿が掘られるようにもなる。

 庚申塔がある周辺は、五日市街道沿いの新田の村として開村された地域。庚申塔は、開村後、悪疫退散や村の安全を願い造立されたと思われる。また、脇にある藤の巨木は「庚申の藤」と呼ばれ樹齢300年と推定される。庚申塔の建立と同時期に植えられたという。(竹内みちまろ)

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