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吉本新喜劇の普及活動に精を出す小籔千豊

 吉本新喜劇の最年少座長といえば、小籔千豊。その名を全国区にしたのは、『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系列)で、長尺ながらも飽きのこない話術と、毒舌ながらも的を射た分析力には、定評がある。

 芸人になったきっかけは、バッファロー吾郎。大阪の劇場で偶然観た彼らのネタに、衝撃を受けた。それまでの小籔は、学校イチおもしろいと言われていた。ところが、バッファローのトークとネタに触れたとき、自信を一気に喪失した。そして、決めた。彼らと同じステージに立とう、と。

 デビューは、ビリジアンというコンビ。20歳のころ。“第2のナインティナイン”として、NHKが密着するほど、大きな期待を寄せられていた。しかし、相方が作家志望になったため、およそ8年で解散。失職した小籔は、当時の彼女で、のちに妻となった女性との将来を真剣に考え、芸人を辞める決意を固めた。就職情報雑誌で見つけた、「おもしろければいい」という応募条件のゲーム会社・カプコンに入社しようと決めたのだ。

 この苦渋の決断を全力で止めたのは、同期の野性爆弾・ロッシーとシャンプーハット・小出水。彼らの熱に根負けして、吉本興業に残り、1年という期限を決めて、新喜劇の座員になった。そこからは、死に物狂いで奮闘した。

 テレビタレントとしての知名度が高まった今も、新喜劇には出演している。住居も所属も、地元の大阪から東京に移したが、それは「レンタル移籍」にすぎない。小籔の夢は、大阪の名所といえばユニバーサルスタジオ・ジャパンと吉本新喜劇といわれるほど、全国に定着させること。その普及活動として、東京に籍を移した。

 この先も、思いは変わらない。売れようが、売れまいが、俺は一生新喜劇の座員。死ぬまでずっと…らしい。(伊藤由華)

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