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西田隆維のマラソン見聞録 第10話「代表選手になるという事」

 タレント・猫ひろしさんは自ら出場する『北海道マラソン』(8月28日開催)の記者会見を過日、実施。自己ベスト更新と目下、目標にしている「カンボジア代表で五輪出場」を記者団に熱く語っていた。

 会見で猫さんはカンボジア国籍取得の申請を今年初めに提出したと表明。同国で11月に開催される五輪出場をかけたトライアルレースに参戦する事も明らかにした。ただ、今の猫さんにとって、最も重要なのは「11月のトライアルレースまでに国籍取得を間に合わせる事。仮に間に合わなかったら“ただの外タレ(外国人タレント)”なってしまう」という事だそうだ。

 この発言が僕には非常に気になる。猫さんには失礼だが、仮にカンボジア代表としてオリンピックの舞台に立ったところで今とどう状況が変わると言うのか−−。
 「オリンピックに出場したのだから、営業ギャラが高騰する」「文化人(主にマラソンコメンテーター)としての仕事が増える」…まだまだ、「猫さんの商品価値」が上がると目される理由はあるだろうが、僕に言わせれば、全て「絵に描いた餅」「取らぬ狸の皮算用」としか、残念ながら思えない。
 そもそも猫さんはお笑い界を主戦としているタレント。オリンピックに出場しようがしまいが、業界的にはまるで影響のない世界だ。

 次に文化人としての「枠」に関して−−。ここは僕でさえ感じるくらい人材難(気がつけば瀬古利彦さんや金哲彦さんばかりで)が窺える。が、しかしその枠に猫さんが入れるほど、甘い世界では無い。
 具体的に綴ると、今の猫さんの実力はフルマラソン2時間35分程度。五輪トライアルを2時間24分台で走ったとしても、「世界レベルには遥か適わない」。オリンピックに出場しても「世界の一流と同じスタートラインに立っただけ」で終わるのだ。世界のトップ達は大体2時間6〜12分台(世界新は2時間3分台だが)でマラソンを走破する。それから約20分も遅れるとなると、スタートした直後からトップ集団について行けず、第2、第3集団の後方からレースを進める事になる。
 つまり、「元五輪選手といっても、(五輪に)参加しただけ」。僕は個人的な付き合いがあり、人柄もいい猫さんに嫌味を言うつもりはないが、この程度の力では2時間10分台でせめぎ合っている実業団のマラソンを語るには物足りない。とても解説者として、任務を全うするのは不可能だと思う。

 結局、オリンピックに出場しようがしまいが猫さんの商品価値に変化は見られそうもない、という事だ。
 で、あるならば、無理してカンボジアの国籍を取るよりは、「今の状態で輝ける事」−−市民ランナーの雄となって、市民マラソン大会を席巻し、その世界(市民ランナー界)の第一人者になればいい。

 そもそもマスコミ関係者は猫さんのカンボジア国籍取得について「カンボジアならレベルが低く、猫は“俺でもオリンピックに出場出来る”と軽く考えた」という認識だろう。これは僕の推測だが、実態は違うと思う。今、猫さんが師事している谷川真理さんはカンボジアの地雷撲滅キャンペーンを永年行っている張本人。僕も一昨年、真理さんに誘われ、彼女と一緒に(カンボジアではないが地雷が数多く残っている)ベトナムのハーフマラソンに参加したほど。猫さんは真理さんの社会活動に付き合っただけ…という印象を拭えないのだ。
 要するに、僕の中では「猫さんにカンボジア移籍が本気なのかどうか」は疑問符が付くという事。本人に強い意志が無いのならば、今後、日本国籍の再取得が困難な状況を作るより、現状でハッピーになれる可能性を見出した方が、猫さんにとっても得策だと考える。
 この件で僕は所属事務所社長とよく話すのだが、社長曰く−−。
 「猫の感覚はシリアスな市民ランナーと同じ。その理由は、まず3時間一桁でマラソンを完走する市民ランナーは“サブスリー(3時間未満での完走)”を目指す。それを達成すると今度は2時間50分切りを目指す。次は…この頃になると市民マラソン大会ではタイトル(優勝)に手が届く位置となり、彼らは“天下を獲った”気になるもの。猫もまさしく、そのパターン。彼らは世界トップのレベルを頭では確認していても身体では確認する事はしない…というより出来ないが…。ただ、自分の記録が伸びているのは事実。それが増長して、天下を獲った気になっているのでは無いだろうか」
 何とも悩ましい−−。
 雑誌『ランナーズ』(アールビーズ刊)の「一歳刻みランキング」(2010年4月〜2011年3月版)によれば、男子で3時間未満のランナーはフルマラソン完走者(延べ数)14万6060人中4871人。割合は3.3%しか存在しないのだ(ちなみに女子は3万3155人中173人で全体の0.6%)。
 さらに2時間45分以内で走破した人口は男子1376人(0.9%)、女子50人(0.2%)となっている。これは、昨年4月から今年3月まで開催されたほぼ全てのマラソン大会がデータ対象になっている。という事は、男子0.9%、女子0.2%の中には実業団ランナーも含まれている事となる訳だ。

 以上の背景から、市民マラソン大会では2時間45分以内で完走すれば、当然大会のベスト6以内には入れ、表彰される。いや、『河口湖マラソン』『かすみがうらマラソン』『NAHAマラソン』…といった人気の市民マラソン大会はともかく、それ以外の大会ならば十分にタイトル(優勝)も狙えるのだ。
 そうなると、猫さん同様のタイムを持っている市民ランナーは「常に上位でレースを展開する為“俺、私は速い”というような自尊心が生まれ、日々走っている時から、天下を獲った気分になってしまう」と前出・社長の分析は合点がいく。

 猫さんもその流れで「オリンピックに出場したい」と思い始めのならば、僕はこうアドバイスを送りたい(猫さんと僕は同い年)。
 「猫さん、世界の一流と相まみれたいのならば、五輪では無く『世界選手権(世界陸上)』のカンボジア代表になって下さい」
 その理由はこうだ。

 (1)海外では未だ五輪は祭典で選手もお祭り気分だと聞く。実質、世界ナンバー1を決める大会は『世界選手権』でここに有力選手は照準を合わせてくるもの。

 (2)今の状態では仮に五輪に出場しても、明らかに能力不足。最初から、付いて行くのがやっとで、それでもオーバーペース。とても完走は出来ないと感じざるを得ない。

 (3)奇しくも今年、猫さんが『北海道マラソン』を走るタイミングと時を同じくし、韓国・テグで『世界選手権(世界陸上)』が開催された。次回は2年後。五輪は4年後になる事を考えれば、4年後に向けての練習より、2年後に向けた練習の方が、本人の気持ちも違うはず。厳しい言い方になるが、2年後までに2時間20分を切れない様だと、「一流のマラソン選手にはなれない」。世界は諦めた方がいい。

 このような記事を書くと読者の方や関係者から「西田、お前何様のつもりだ」とお叱りを受けそうだが、僕は僕なりの考えも持って綴っている。皆様の批判は甘んじて受ける心構えだ。

 今回の五輪出場発言は、たまたまタレントが言い出しただけ。実のところ、前述の3.3%は皆、心の中で猫さんと同じような「夢」を描いているのではないだろうか−−。
 市民ランナーが実業団選手をどういう風に見ているのかは分からない。だが、彼らは「走る事で生計を立てているプロ」。プロにとって母国を背負う(代表になる)という事は、市民マラソン大会で優勝したから−−などというレベルの話では無い。「代表に選ばれるのも苦労」「選ばれて走るのも又、苦労」なのだ。特に後者は重要で国の代表になった以上、無様な走りは絶対、出来ない。
 己の私利私欲で戦っている選手は必ず潰れる。「代表選手」になるという事は、全てのプレッシャーを受け入れるだけの力量が無いととても務まらないのである。
<プロフィール>
西田隆維【にしだ りゅうい】1977年4月26日生 180センチ 60.5キロ
陸上長距離選手として駒澤大→エスビー食品→JALグランドサービスで活躍。駒大時代は4年連続「箱根駅伝」に出場、4年時の00年には9区で区間新を樹立。駒大初優勝に大きく貢献する。01年、別府大分毎日マラソンで優勝、同年開催された『エドモントン世界陸上』日本代表に選出される(結果は9位)。09年2月、現役を引退、俳優に転向する。9月3日スタートのラジオ番組「週刊 西田隆維(りゅうい)」(FMたちかわ)のメーンパーソナリティ。

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