だが、実際は天下りがまかり通っていた。それは、1月20日にあった政府の再就職等監視委員会の調査結果でよく分かる。報告によると、文部科学省だけで計10件も国家公務員法に違反しており、違反の疑いのあるものまで含めるとなんと計38件もあったのだ。
特筆すべきは、吉田大輔元高等教育局長(61)が早稲田大学の天下りを組織的に斡旋したとされる問題。元局長は2015年8月に退職し、同10月に早大大学総合研究センターの教授として再就職したが、提出した履歴書は文科省の人事課と作成したものであり、大学への送付や面接日程などの調整も人事課が行ったという。
「おまけに、元局長が早大の採用面接を受けたのは、文科省を退職したわずか2日後。いかに人事課がうまく調整したかが分かります。これに疑いを持った監視委が調査するや否や、今度は元局長の再就職を別の文科省OBの仲介によるものとし、それを早大人事担当者に口裏合わせまでさせて隠ぺいを図ったというから呆れます」(全国紙社会部記者)
文科省のこうした“不正”を巡っては、前川喜平次官(62)も文部科学審議官時代に斡旋行為があったことが分かっている。まさに文科省という組織そのものが、天下りに手を貸していたことになる。
元局長が所属していた高等教育局は大学の設置認可や私学の補助金交付などを所管していた部署。私学の雄である早大と言えども、逆らうことはできない。
「とにかく文科省の担当者は横柄ですよ。たとえ20代の若い人であっても文句は言えません。命令口調で頼んできて、こちらがお願いしたことは平気ですっぽかす。監督官庁ですから仕方がない」(大学関係者)
しかし、これでは早大が誕生した経緯が泣く。
「そもそも早大は、大隈重信が北海道開拓使官有物払い下げ事件で伊藤博文とぶつかった『明治十四年の政変』の翌年に創設した、東京専門学校が前身。以来、同校には“反骨”“在野精神”というイメージができた。そうした有能な若者を育むはずの大学が権力の前では何もできないとなれば、日本の将来も危ういと言わざるを得ません」(教育誌編集者)
早稲田よ、建学理念の「学問の独立」が泣くぞ。「反骨精神」はいったいどこに行ったのだ。