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怪談作家・呪淋陀(じゅりんだ)の「不思議スポット探訪:麻布観音」

 殺伐とした現代社会。
 心が癒され優しい気持ちになれる場所がある。

 西麻布にある長谷寺。彼方には六本木ヒルズが見える境内。お寺と高層ビルというミスマッチな光景。そこは都内とは思えないほど静かで清らかな空気に包まれていた。

 本尊の十一面観音は通称『麻布観音』として親しまれている。お参りした人々は口々に、御姿を眺めていると心が洗われる。どんな悪人も優しい気持ちになれる。観音様と目が合った途端、感動で涙が自然と溢れて来る等々…。
 『麻布観音』の不思議な魅力について語るのだった。

 『麻布観音』を初めて拝観した時、その存在感に圧倒された。一本の木から彫られた約10メートルもの巨大観音像。生命感溢れる神々しいオーラを放っていた。「観音様と必ず目が合いますよ」と聞いていたが、驚いた事に本当に目が合った。ふくよかで優しい御顔立ちの観音様。柔和な眼差しで私を見つめて来られた。
 しかし、全てを見透されているような畏怖の念を抱いた。観音様と対峙しているとだんだん心臓が高鳴って来た。仏像でこんなに気持ちがときめくのは初めての体験だった。

 観音堂にいた一人の老人。『麻布観音』と長年接して来た方らしい。彼は私にこう語った。

 観音様も信仰心がなければただの木である。
 世の中で起こる様々な恐ろしい犯罪や事件などは、見えない世界を信じない事から起こるのである。観音様を拝む事は自分自身を拝む事であり、自身が観音様ならば悪行など出来ないはずである。例えば、重い病気の人がいるとする。その人は観音様を拝み続ける事で不思議と病が癒えたと言うのだ。
 しかし、それは観音様の力ではなく病も気からと言う様に、拝む事により自身の心の在り方が変わっただけのである。信じる事はとても重要である。人を信じる事。最も大事なのは自分を信じる事。観音様は自分自身なのだ。

 慌しい世の中。心にゆとりが無くなりがちだ。たまには仏像等を無心にただ眺めるのも良いと思う。

(怪談作家 呪淋陀(じゅりんだ)山口敏太郎事務所)

参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou

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