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王と長嶋〜プロ野球を国民スポーツにした2人の功労者〜(5) 長嶋「もしあの時に辞めていたら…」

 日本シリーズで長嶋監督率いる巨人を倒して2年連続日本一達成、ホークス王国をアピールする王監督の思惑は誤算に終わった。だが、勝った長嶋監督にもその後に計算違いがあった。
 「本当に迷ったんだよ。ONシリーズに勝って勇退する。最高の引き際だと思ったのは事実だ。辞めようか、もう1年だけやろうか。心が揺れ動いたが、結局もう1年やることになってしまったからね。ONシリーズを制した、あの時に辞めていたら最高の幕引きだったのに…」
 2位に終わった2001年のシーズン限りで勇退、原辰徳ヘッドコーチに政権禅譲した長嶋さんは、しみじみと本音を漏らした。20世紀最後を飾るONシリーズを制しての勇退というのは、これ以上ない最高の花道だった。長嶋さんが悔やむのも分かる。

 昨シーズンでユニホームを脱いだ王さんの勇退はもっと大誤算だった。誰も全く想像しない、最下位に転落してのユニホーム生活との決別だったのだから。孫オーナーら球団首脳から「来季も、ぜひ指揮を執ってほしい」と必死に続投を要請したが、「体力の限界です」と健康面を理由に固辞した。その上で、「チームが最下位になったのだから、監督が責任を取るのは当然です」と、自ら責任問題に言及している。
 3年連続V逸の1980年シーズン終了後、電撃解任された巨人・長嶋監督が無念さを隠して「男のケジメです」と名言を吐いたのとオーバーラップする。長嶋さんが「勝負の世界は結果がすべて。勝てば官軍、負ければ賊軍」と言えば、王さんは「監督は何年契約でも関係ない。1年、1年が勝負だ。負ければクビになっても仕方ない。監督というのは、実際には1年契約なんだよ」と言い切る。いずれも誕生時は「半永久政権」ともてはやされながら巨人監督の座から長嶋さんが6年間、王さんも5年間で追われ、現役時代には味わわなかった屈辱を知り、非情な監督業に関する思いは共通するものになったのだろう。
 それでもONの監督論は、時代の流れとともに変わっており、その変化を追うと面白い。75年のシーズンから指揮を執った、39歳の輝ける青年監督、巨人・長嶋監督は監督定年論の自説があった。
 「監督は選手と一緒になって動けることが必要だ。動けなくなったら辞める。監督にも自ずと定年というものがある」と。四球を乱発した投手に対し、「打たれるのは仕方ない。が、打者から逃げるのは許せない。逃げるな」と鉄拳政策も辞さなかった。しかし、13年の充電生活を経て92年に、56歳で巨人監督に復帰した第2次政権時の長嶋監督は大きく様変わりしていた。「鉄拳制裁? 冗談じゃないですよ。いまどきの選手は殴ったりしたら、野球にならないよ。ショウベンをちびっちゃうよ。頭をなで、おだてながら使わないとね」とユーモアたっぷりにひょう変の理由を明かした。
 若さを前面に打ち出した直情径行から年輪を重ねた大人の選手操縦法ともいえる。が、熱血指導という根本は変わったワケではない。「松井4番千日構想」は口だけではなく、人目の付かない密室でのマンツーマンレッスンまでしている。遠征先の監督室、東京・田園調布の長嶋邸の、長嶋さんが現役時代に試合後に時間を忘れ、素振りを繰り返した、あの地下室でと、秘密の特訓が行われている。
 巨人の4番からメジャーリーガーへ。松井は今でも長嶋さんの熱血指導に感謝感激している。

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